高山市 素玄寺 住職 三塚泰俊師
先日の事ですが、お寺の大切な行事の前に風邪をひいてしまいました。その為に、やらなければいけない仕事が山積みなのに、思うように体が動かず、上手くいかない現状に腹をたてて過ごしていました。
よく考えれば風邪をひいたのは、健康管理をしていない自分の責任なのですから、「それまで忙しかったから」とか、「天候が不順で寒暖の差が激しすぎるから」と、周りの責任にしようとする愚かな自分に気付きました。
皆様も普段の生活の中で、何だか不思議な位に自分が思うように上手くいく時と、その逆に、どんなに努力をしても、なかなか思い通りいかない時がありその度に喜んだり悲しんだり、怒ったり、泣いたりされる事があるのではないでしょうか。
事柄の大小はあっても、この世の中は、私たちの心の思うがままにならない事ばかりです。生きる事もそうであれば、死ぬ事も思うようにならない事です。
仏教の死生観について、宗教評論家のひろさちやさんはこう解説しておられます。
「仏教では人間の存在を「苦」と見ている。大乗仏教では、「苦」とは苦痛という意味ではなくて、「思うがままにならない」という意味であり、生まれ、生きていく事、老いていく事、病んでいく事、死んでいく事は、どれも思うがままにならない事である。それを「思うがままにしよう」として苦しんでいるとすれば、そうしなければいい。なるようになると、しっかり覚悟してそれを「明らかにする」事が大切である。死後の世界を考えず、しっかりこの人生を生きればいい。」
曹洞宗の宗祖、道元禅師は「生の時は生、死の時は死であり、一日一日、一
呼吸一呼吸、一瞬一瞬の中に私たちは、生まれ、死んでいる。この一呼吸が最期になるかもしれない。だから、日常生活の一つ一つが、一期一会だと思い、今、ここ、このことに一生懸命に立ち向かわなければならない。」とお示しです。
「変えられない自分の周りの様々な事」に目を向けるのではなく、「変えられる事」に精進努力して毎日を生きていく事が大切な事なのでしょう。