テレフォン法話

曹洞宗岐阜宗務所では電話による法話の発信を行っています。
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お焼香について

恵那市 普門寺 住職 東谷英昭 師

法事や、葬儀に参列すると 必ず焼香をしなければならない。

 焼香には、その香気によって仏前を清めると云ういみがあるためだ。

 参列者全員が焼香することにより、儀式が遺族と僧侶だけのものではなく、広がりの有るものとなるためだろう。

 焼香には「抹香」を焚くものと、「線香」をあげるものがあるが、葬儀や法事では、抹香を焚く場合が多い。

 宗派によって、焼香の作法は多少異なるが基本原則は同じである。

 数珠を両手に掛け位牌、写真を仰いで

合掌 礼拝をする

 左手に数珠を持ち、右手で香をつまみ

軽く左手を添えて額に押しいだき念じて

から静かに香炉の中に入れる。

 一度目に焼香した お香のそばに二度目の焼香をする 三度目は額に押しいただかなくて良い

 再び数珠を両手にかけ 合掌礼拝する

 遺族に会釈して退く

 焼香は、お釈迦様から続けられた儀式であり、自らの精進を表しています

 仏教伝来とともに、身を清め、仏を供養する習慣として儀式に取り入れられました

 俗に、「線香臭い」と云う言葉があるが、お香の匂いが衣類に染み付いた様を云うもので、お坊さんの香、面白みのないことを指す言葉であるとかないとか。

「共に助け合いこの困難を乗り越えよう」

岐阜県宗務所 所長 安養寺 住職 小島尚寛 師

新年明けましておめでとうございます。皆様の益々のご健勝をお慶び申し上げます。

日頃より、このテレホン法話をご拝聴頂き御礼申し上げます。

昨年は新型コロナウイルス感染症に恐怖や不安を抱え、悩まされる一年でした。

しかし、その中、医療従事者の皆様を始めとして、この苦境に立ち向かう多くの方々に敬意と感謝の気持ちをお伝えしたいと存じます。

私たちはとかく、目に見えない恐怖や先行きに分からない不安の中に、それを遠ざけようとして、自ら冷静さを見失い、誤解や偏見、差別・風評被害を起こしがちになっているやもしれません。

「人間は考える葦である」不正確な情報に惑わされず、正しい見識を持って、この時こそ静かに自分自身を見つめ直す機会と捉え、今の困難に直面しているのは自分だけではないことを弁え、他人の苦しみも同様に共感できる思いやりを忘る事無く、「慈悲の心」を持って昨年のお正月にもお伝えしましたが、人々をお助けする力となる菩薩の願い、四つの智慧「布施」「愛語」「利行」「同事」という「四摂法」に従って前に進みましょう。

私たちは一人ひとりが、苦しみ、悲しみ、悩みを分かち合い、共に助け合いながら、逆境を順境に転じて、この苦難を乗り越え、維日を早く、元の生活に戻れるよう、新しい日を迎える事が出来るよう、努めて参りましょう。

「明けない夜はありません」

・ともに学び

・ともに願い

・ともに実践してまいりましょう

「コロナに負けるな」 合掌

「除夜の鐘と三毒」

中津川市 萬獄寺 住職 皮地昇雲  師

今年も早いもので師走となり、間もなく大晦日を迎えます。

12月に入ると、お正月を迎える準備で忙しくなります。例えば、大掃除をしたり、餅つきをしたり、門松の準備をするご家庭もあるでしょう。そのほか、地域に伝統的に伝わる多くの民間の行事にならって、新年を迎える準備を行うことと思います。

さて、12月31日は大晦日と呼びます。昔は、毎月の終わりの日を晦日と呼んでいました。そして、この12月の終わりは1年の終わりなので、特別に大晦日と呼ぶようになったのです。

この大晦日は1年の最後の日で、古い年を除き去り、新年を迎える日という意味から「除日(じょじつ)」といい、その夜は「除夜」といいます。この除夜に煩悩を祓うために打つ鐘を「除夜の鐘」ということは誰でもご存じで、その打つ回数108回が煩悩の数に由来していることも、多くの方が知っていることでしょう。

人間には煩悩という切り離せない穢(けが)れたものがあります。

その108の煩悩をさらに突き詰めていくと、貪瞋痴の三毒に集約されます。すなわち、『貪(とん)』は、貪欲(とんよく)、むさぼりの心、『瞋(じん)』は瞋恚(しんい)、いかりの心、『痴(ち)』は愚痴、おろかな心。この三毒こそが人の心を惑わせたり、悩ませ苦しめたりする心の働きで、生きていれば誰にでも表れてくる悪い心です。ここで大切なのは、それらを消すことではなく、それらが「自分の中に在ること」を知ることなのです。それによって自分が劣っていることでも、他人を見本として克服したり、他人の失敗も自分と重ね合わせることで寛容に受け止めることが出来る、ということにも繋がると思います。

除夜の鐘を聴きながら、過去の自分を反省し、清浄潔白な心になって新年を迎えたいものです。

「未来を考える」

恵那市 長徳寺 住職 松本康巡 師

今年は新型コロナウイルスの為、また豪雨などの災害もあり、本当に大変な年でありました。皆様の無事・健康をお祈り申し上げますと共に、これからも油断せぬ様、気をつけて過ごして行きたいのものです。

この様な状況の中で気付く事もありました。特に思うのは先の事をよく考えるべきという事です。先々の予定を立てたりするのは当然の事ですが、今以上に未来を予測して十分な準備・行動をする必要があると思います。

仏教で、過去・現在・未来についての教えがあります。過去は現在の原因であり、未来は現在の結果であると考え、過去には戻れないし、未来に行く事は出来ないので、今現在の一瞬一瞬をしっかりと生きて行く事が大切であるという教えです。

まさにその通りですが、現在の病気や災害などが起こる社会情勢の中、未来がどうなるか分らないという不安がありました。これからもそれに向き合い、悪い状況も想定しての対策を社会でも個々でも行って行かなくてはなりません。

社会全体でも、これを境に色々な物事がより合理的に変化して行くと思います。かなり急激な変化ですが、時世に応じて考え方や価値観は変わります。変わらずにはいられない状況もあり、時勢をみて柔軟に変化をして行く事が良いのではないでしょうか。

未来がどうなっているのかを考えて、そこからどうして行くのかを考える事が重要になると思います。更には、人生において何が大切なのか見つめ直し、改めて考える事もして行きたいものです。

「今を一心に」

関市 正武寺 副住職 岩田潤法 師

お釈迦様のお言葉のなかに「過去を想わざれ、未来を願わざれ、過去は既に過ぎ去りしものなり、未来は未だ来たらざるものなり。ただ今を一心に為せ。誰か明日の死を知らん」とあります。このお言葉は、ただ単に「過去を想ってはいけない、未来を願ってはいけない」という意味ではありません。

過去の中の思い出には、人それぞれ大事な、そして大切なものがあります。その大切な思い出を想ってはいけないというのではなく、過去にとらわれてはいけないとおっしゃっているのです。

私たちは今と比べて、「昔は良かったな」「あの時ああすれば良かった」などと思い出にひたったり、あるいは悔やんだりしますけど、思い出ばかりで過去にとらわれ現実を見ない、何もしないというのがいけないのです。

新型コロナウイルスの影響で様々な不幸がもたらされております。しかし、こうした苦境を乗り越えた経験は、コロナ禍の今こそ活かされるはずです。

また、未来についても、夢や希望を持つことは素晴らしいことですが、「今の生活が嫌だ」「ああしたいな、こうしたいな」と空想するばかりで何もしない。こうしたことがいけないのです。今を一生懸命生きること、努力することが夢や希望をかなえることに繋がるのだと思います。今晩目を閉じて明日目を開けることができるという保証はございません。だからこそ一日一日を悔いの残らないように大切に生きる。今という一瞬は二度と戻ってきません。

生かされているこの人生が、長い生命の営みの過去から未来へとつながっていく一コマにすぎなくとも、自分はその中で一つ役割を果たせたと思えた時、人はそこで自分自身の役割がなんであったか理解でき、自分の人生に満足できるのだと思います。

今あるこの命を生きるということの大切さを心に、どうぞ一日一日を大切に、そして一心に人生を歩んでいただきたいと思います。

「火を消す」

美濃市 長徳院 住職 永田将人 師

みなさんこんにちは。長徳院住職の永田将人でございます。当院は、中濃地区では引いたら倒れるようなお寺でございまして、そんななかで、この老化が激しいこの田舎の私の頭ではとても法話は務まりませんが、すこし思い出話をさせていただきたいと思います。

昔、ある関東のお寺にお邪魔していましたときに、宗門の高校に通う学生さんが参禅に来ておりました。そのなかの一人とお話しをしておりまして、その子はお寺の息子として生まれて、将来はお寺を継ぐということでした。ただ、小さな頃から夢がありまして、消防士になりたいと。その夢はどうしても叶えたいが、なかなか現実はそうはいかないと言っておりました。消防士を何年かやってからお寺を継げばいいのではないかと言ったのですが、それもなかなか難しいと、かなわないということでした。

ただまあ、消防士というのは、火を消す、人の命を救う、そういった使命がございまして、それはもちろん大事なことですが、そこに至るまで、それを予防するのがより大事なのだと思います。だから火の用心とか、いろんな火災予防といった啓発活動をしているのが実際のところでありまして、そういったことで言いますと、たとえ消防士になれなくてお寺さんを継いだとしても、人の心に火事が起こる前に予防として仏道を伝えるという、そういった伝道の活動をするということが大事なのではないかと。人を救うという意味では、お寺も消防士も同じではないかと、私の若い頭でそんな話をした思い出がございます。

「未来に向けて私たちが果たす役割」

美濃市 大禅寺 住職 大平龍玄 師

皆さんはエスデイジーズ、(SDGs)「持続可能な開発目標」という言葉を耳にされたことはありますか。一見難しそうな言葉かと思いますが、しばらくの間お付き合いください。

SDGsとは2015年国連サミットにて採択された、「誰一人取り残さない」持続可能で多様性と包摂のある社会の実現のため、2030年を年限とする17の国際目標のことです。「①あらゆる場所のあらゆる形態の貧困を終わらせる」「②飢餓を終わらせ、食料安全保障及び栄養改善を実現し、持続可能な農業を推進する」など、貧困や飢餓、環境問題、経済成長など、幅広い課題が網羅されています。それぞれ17の目標には、さらにターゲットと呼ばれる169の行動目標が示され、日本においても国、自治体、企業などにより、様々な取り組みが行われています。一見自分には関係ないと思われるかもしれませんが、身近なことでは、レジ袋の有料化などによる、海洋プラスチックごみ削減の取り組みが、目標⑭持続可能な開発のために海洋資源を保全し、持続可能な形で利用しよう」のターゲット1「海洋堆積物や富栄養価を含む、特に陸上活動による汚染など、あらゆる種類の海洋汚染を防止し、大幅に削減する」にあたります。私も普段いわゆるエコバックを持ち歩かないため、コンビ二などにて買い物をした時、当たり前の様に商品を入れ持ち歩いていた、レジ袋の有料化は、非常に不便を感じています。なれた行動を変更するには、大変なことも多いとは思います。自分たちさえよければ、次の世代はどのようになってもかまわない、と思う人はいないと思います。皆さんもSDGsに参加し17の目標のうちどれでも構いません。それぞれが自分のできることから取り組むことにより「共に成長し、他者を思いやり、環境を大切にする」社会の実現に向けて、動き出してみませんか。

「足るを知る」

本巣市 智勝院 住職 平古琢磨 師

新型コロナウイルスにより 嬉しいはずの新しい年度の始まりが、今年度は今までにない 不安と恐怖に怯え、すべてにおいて時代が変わるかのような 衝撃を受けました。何が一番大切で何が必要なのか、私たち一人ひとりが 考えさせられる状況のように思います。

私たちは物質的な豊かさの中に「幸福」があり、物が豊かになればなるほど幸せな人生を送れると思ってきました。しかし欲しいものが手に入っても、しあわせ感は長続きしません。次の物欲が生まれ 欲にきり無しといわれるがごとく この幸せ探しは延々と繰り返されます。

日本は 世界でも指折りの経済大国で 物質も豊かですが、国民の大半は幸福度が低く 常に不安、不満を抱いているといわれています。

物質的には世界的に最も貧しい国である仏教国のブータンは、『世界一幸福度が高い国』として注目を集めています。物をたくさん持つことが即ち幸せではない。普通に食事ができることの幸せ、普通に働けることの幸せ、普通に寝ることのできる幸せ、平凡な毎日こそが幸せで、仏教への信仰心が厚く、「足ることを知る」という仏教の教えが人々の生活に根付いているからだといわれています。我々先進国で暮らす人間が忘れてしまった素朴な幸福感のようなものをブータンの人々は大事に持ち続けているのだと思います。

そう思ったときに、テレビドラマシリーズ「北の国から」のひと場面を思い出しました。

純  「電気がない? 電気がなかったら暮らせませんよっ!」

五郎 「そんなことないですよ」

純  「夜になったらどうするの!」

五郎 「夜になったら眠るんです」

「足るを知る」心を持つことで 日々感謝の気持ちを忘れない生活を送ることが いつの時代でも一番大切なことだと思います。

「すばらしい未来を願って」

安八郡神戸町 榮春院 住職 阿原道雄 師

政治・教育・宗教、そしてコロナ、よく新聞やTVで耳にします。

それも悪い方が多いのではないでしょうか。

それによって世の中はギスギスしています。

しかし私は、世界中の人々が明るく仲良く楽しく生活するには、政治・教育・宗教がとても大切だと思います。

今の政治は・教育・宗教の中に何か共通するものが有り、それを解決することによって、良い方向に向かって行くのではないかと考えました。

その答えは人それぞれ違うと思いますが、私の中ではすごく簡単なことでした。

ただ言葉にするのと実行するとなると、とても大変なことで、正直、解ってうれしい気持ちと これからどうしようという気持ちで、複雑な気持ちになりました。

それは一つの物を皆で分け合う心、つまり世界中の人が、人の為、人の為と思い温く広い心でそれを実行できたら、世の中 本当に良くなるはずです。

私も、まだまだ理想とは掛離れた人間ですが、それでは“がんばらなくては”と 日々を生きています。

皆さんも、これから生まれてくる人々の為にも、すばらしい未来を一緒に築いていきませんか?

いつの日か、それが皆さんの為にもなるはずです。

「お彼岸を迎えるにあたり」

大垣市 龍松寺 住職 西澤峰靖 師

暑い時期が続きますが、一般に暑さ寒さも彼岸までと言われますように、暫くもしますとお彼岸を迎え、しのぎやすい時節となってまいります。

さて、お彼岸になりますと、日ごろ怠りがちなお仏壇やお墓の掃除をし、ご先祖様の霊を慰め、供養するのが私たちの生活習慣となっています。私たちが今日、いまの暮らしができていますのは、ひとえにご先祖様のご遺徳のお陰なのです。私たちが人間として今を生かされている背景には、ご先祖様が行ってきた善行の集積があるわけでして、そのおかげで私たちは人間として生を受けることができているのであります。

その恩恵に感謝のまことを捧げるのは、生きている私たちの勤めであります。それが、自然にお墓に参り、お仏壇にお参りする姿となるわけです。

お彼岸は「自分は常日頃、ご先祖様の恩恵に報いるだけの事をしているであろうか」と自分に問いてみる機会でもあります。ご先祖様に恥じない生活をしていかなければなりません。

彼岸はもともと仏教の言葉でありまして、彼(か)の岸と書きます。仏の教えでは、向う岸を理想の世界・悟りの世界と申しています。向う岸があれば、こちらの岸もあるわけでして、こちら岸を迷いの世界にたとえています。つまり、迷いの岸から悟りの岸・まこと(真実)の岸に渡りましょう、という教えなのです。

お彼岸とは、私たちが日頃、まこと(真実)の生活をしているか、恥じない人間として暮らしているかと、あらためて自分自身に問う良い機会であると言えます。

家族がそろって、この機会に、ご先祖様に感謝し、ともに喜びや悲しみを分かち合い、争いや迷いから、可能な限り遠ざかるよう心掛けて、努力精進する良い機会としたいものです。