「心を通わせる手段」

郡上市 悟竹院 住職 稲村隆元 師

いつ頃からなのか、横断歩道を渡る学生が止まった車に対して深くお辞儀をする光景をよく目にするようになりました。自分自身が学生の頃はなかった光景だと思います。その姿を見るたびに心が温かくなるのを感じます。「深くお辞儀をする」という行為ではなく、お礼をしている姿を嬉しく思うのだと感じています。

これは近年、見知らぬ人と挨拶を交わすということがあまり見なくなってきていたこともあるかもしれません。地元に来る観光客の方であると挨拶を返されると珍しすぎて逆に驚くほどです。しかし、この時も挨拶が返ってくるとどこか嬉しくなります。言葉がなくとも会釈が返ってくるだけでも同じです。

「挨拶」というのは元来仏教用語で、「一挨一拶」などといって師匠が弟子の修行の度合いを知るために声をかけることをいうのですが、僧侶に限らず挨拶を交わすことで、お互いに言葉以上に伝わるものがあることは誰しも感じるところではないでしょうか。普段からよく話す近所の方に挨拶をしたのに、俯き加減で声が小さかったとしたら、何かいつもと違って心配になります。逆にすごく晴れやかに満面の笑顔で挨拶されると、こちらも笑顔になるし良い事があったのかと感じます。当たり前のことではありますが、当たり前だからこそ大事にしたいと深くお辞儀をしてくれる学生を見るたび思います。

直接人とコミュニケーションを取ることが避けられがちな状況で、見知らぬ人に警戒心の高い時代でもあります。しかし、ちょっとだけいつもより広い範囲で挨拶をしてみると思わぬ笑顔に出会えるのではないでしょうか。