「息の大切なことを意識せよ」

関市 宝泉寺 住職 花村 英映 師

先日読んだ本に『息を吸うときには、息を吸っている自分に気づこう 意識を集中させよう。吐いているときは、吐いている自分に気づこう。喜びを感じながら息をしよう。こころを感じつつ こころを静めて呼吸しよう。こころを安定させ こころを自由にときはなすように息をしよう。そして、無情を感じ生の消滅を感じ 自己を手放すことを意識しつつ呼吸しよう。』『呼吸をおろそかにして人生はない』『人生は、はいて生命が誕生し、すいこんで終わる』と書いてあった。

普段、ほとんど「息」のことについて意識したことがなかったが、それでも普通に生きていける。自律神経の働きで・・・などと理屈はわかっていても、一度意識すると、不思議な感じもする。息という字も普段、無意識のうちによく使っている気がする。「息が合う」「息を抜く」「息を潜める」「息が掛かる」「息が長い」など日々の出来事と密接に絡んでいる。息の大事さを意識している人は少なくなく、呼吸法は静かなブームになっているという。

息は「自」らの「心」と書くように、その時の心の状態を映すものだ、と説く。息を意識することで、心のありようを変えることもできるだろう。本には息をしていることを喜ぶ気持ちを持って過ごせたら〔もっと慈しむとか、愛するとか、そういうふうに生きる可能性がありますね〕とつづっている。いつからか、息苦しい世の中になったが、いい呼吸法とは、「吐く息はできるだけ深くゆっくり、なめらかに」と、息の大切さを意識したいものです。