郡上市 桂昌寺 住職 清水宗元 師
テレビドラマや小説などの物語の主役を「主人公」といいますが、「主人公」という言葉は実は仏教からきている言葉です。
唐の時代の禅僧の瑞巌和尚は、毎日岩の上で座禅を組んで、自分で自分に「主人公」と呼びかけて、自分で「ハイ!」と返事をしていました。
禅宗でいう「主人」という言葉には「本来の面目」という意味があります。「煩悩を取り去った本来の自分の姿」ということです。
つまり瑞巌和尚は、「お前は本来の面目を保っているか?本来の自己を保っているか?」と日々自分に問いかけ、自分と向き合っていたのです。
日本社会は古来から「和」が尊ばれています。集団の輪を乱さないことや、周囲を同じように行動することが最重視されます。
しかしその反面で、周囲の人の目を意識するあまり自分の意見が言えなくなってしまったり、あるいは周りに流されてしまって自分の本意ではない行いをしてしまったり、っていうこともあるのではないでしょうか?
瑞巌和尚は自分で自分に「主人公」と呼んで「ハイ!」と答えて、そして更に「惺惺著(セイセイジャク)、諾(ダク)」と言っていました。
「惺惺著」とは、
「しっかり目を覚ませ!」
という意味です。
そしてまた更に、「他時異日、人の瞞(マン)を受くること莫れ、諾諾」と言っていました。
「瞞」とは、「あざむく・いつわる」ということなので、「人の瞞を受くること莫れ」で、
「人にだまされるな!」
という意味です。
瑞巌和尚はそれにもまた「ハイ!ハイ!」と自分の問いかけに自分で返事をしていました。
私たちもまた、自分自身に本来具わっている面目=本心・仏心を保つことで、物事の本質を見極め、流されたりだまされたりせず生きていきたいものです。