岐阜市 智照院 住職 宮崎誠道 師
昨年夏の終わりの事です。久しぶりに会った弟にこう言われました。「兄ちゃん。良いか悪いか、まだ分からないけどこの秋に会社変わることにした。とにかくやってみるわ」弟は何事にも慎重で、仕事も人間関係もわりと堅いほうだから大丈夫か?そこで思い出したのが、私がまだ弟と暮らしていた二十五年も前のことです。当時、私は二十歳で年の離れた弟は小学校五年生。バスケットが大好きで、私たちのために父が買ってくれた大人用のゴールに「兄ちゃん、見てて」小さな身体で精一杯投げるんですけど、大人用だからボールが届きません。でも諦めずに「もう一回」そう言っていつまでもゴールを追いかける、当時の姿を急に思い出しました。あれから二十五年たって今では私よりも背が高く、自分の意見を持って挑戦する姿はとても大人びて見えました。この時思いました。「今の私はどうなのか?」弟のその新たな挑戦、その一歩にいつの間にか現状にとどまってる自分に気が付きました。
禅の言葉に「百尺竿頭上なほ一歩を進む」長い竿のてっぺん、百尺は約三十三メートルあります。皆さんがその竿のもうこれ以上先がないというところまで登りつめたとします。でもそこからさらにもう一歩進みなさいとこの禅語は教えます。「人生は上りつめた」こう思った瞬間に私たちの成長は止まります。自分でここはゴールだと思ったところは、一つの区切りです。弟に教えてもらいました。私たちのチャレンジは終わったと思った瞬間からまた次が始まります。でも進めるこの一歩に正解はなく、自分なりの新たな一歩を進めて欲しいのです。