関市 龍泰寺 住職 宮本覚道 師
私たち僧侶は、毎朝、朝課という朝のお勤めをしております。曹洞宗ではこの朝課をとても大切なものとしてまもり、行い続けてきております。
そこで質問があります。この朝課は、そもそも何のために行っているのでしょうか?
もしかしたら、毎朝のお経は、お寺の仏さまのために唱えられていると思われているかもしれません。確かに、まづはじめに、お経の功徳を仏さまにお供えすることからはじまります。しかし、そこで終わりではありません。お経の功徳が、仏さまのお力によって、すべての人々に廻り、すべてのいのちが幸せで安らかであるようにと願う。それがお経の本当の意味なのです。私たち僧侶は、この願いが皆様に届くように、毎朝お経を唱えているのです。
だからこそ、伝えたいことがあります。それは「皆様は一人ではない」ということです。毎日、こうして、皆様の幸せを願っている僧侶が必ずどこかにいるということです。
「私たちは、縁起という繋がりの中で生かされている。」お釈迦様は、そう示されております。
いつも一緒に笑ってくれるのが友人です。いつも相談に乗ってくれたのが両親です。いつも自分を気にかけてくれるのが子どもです。そして、いつも皆様の幸せを願っているのが僧侶です。皆様は一人でありません。多くの人との繋がりの中で生かされています。そして、私たち僧侶は、そんな皆様の幸せをいつも願い、毎朝お経を唱えているのです。「皆様は一人ではない」「私たち僧侶がいつも幸せを願っている」このことを知っていただきたいのです。
いつでもお寺は皆様の拠り所です。だから、安心して毎日をお過ごしください。私たち僧侶の願いが皆様に届き、心温まる毎日になりますことをお祈りいたします。