心のふるさとを求めて

高山市 善久寺 住職 近藤洋右師

 

私は思案に迷った時、困った時、また悩みがあった時、我が子を叱りすぎ反省する時、居ても立ってもいられずよくお寺の本堂に、一人で坐ります。思い悩む心を持て余しながら、静寂を求めて本堂に坐り、お釈迦様を拝みます。お釈迦様はいつも何事もなかったような、穏やかなお顔をしておられるだけで、何も答えてはくれません。しかし、不思議と、いつの間にか心が落ち着き、すがすがしい心地になります。

私たちの毎日は、あまりにも多忙です。あれこれと考えているうちに、月日はあっという間に過ぎていき、心を落ち着けて、自分自身をみつめる暇もありません。落ち着いていたら、世の中に置き去りにされそうな気がします。

しかし、これは間違いであります。今の世の中のように、多忙な時こそ、静かに自分自身をみつめるということが、大切なのではないでしょうか。さいわいお寺は静かであり、心を落ち着けて、自分自身をみつめるには、大変良い場所です。

お寺は騒々しい現代社会にありながらも、私たちの「心の依り所」「いこいの場所」であります。

菩提寺を訪ねられてはいかがでしょうか。

最後に昭和の詩人坂村真民さんの詩をご紹介します。

死のうと思う日はないが

生きて行く力のなくなることがある

そんな時、お寺をたずね

私は一人、仏陀の前に坐ってくる

力湧き明日を想う心が出てくるまで坐ってくる