向き合う

高山市 大幢寺 住職 金岡 正徹

皆さんは「死」をどのようにお考えですか?「そんなこと急に言われても…」とおしゃるでしょう。日常生活で、人の「死」と向き合う機会は、ほとんどありません。職業によっては関わりの深い方もおみえですが、一般的には、お身内でご不孝があった。知り合いのお葬式に参列したときなどに「死」について考える程度ではないでしょうか?

生を明らめ、死を明らめるは、仏家一大事の因縁なり…これは、曹洞宗で読まれる「修証儀」のお経の最初の一節です。生きること、死を迎えることを明らかにすることが仏教徒としての根本であり、生まれてから最後を迎える時まで悩み苦しむ事である…と続きます。

死は突然やってくるから恐ろしいものと捉えがちですが、一か月後にあなたは死を迎えるとしたら・・・。あれもしたい、これもしたい…と恐ろしいどころか、頭の中を「欲」が支配することでしょう。

いつ訪れるか分からないから考えない。

また、生活に追われ考える余裕もない。

しかし、男性、女性、身分や若いとか、年だからに関係なく必ず、死は訪れるのです。

我々は、両親から尊い命を頂きました。

お釈迦様は、父母の恩の重き事、まさに天に限りがないのと同じである。と説いています。

父母の恩は山よりも高く、海よりも深いのです。

今日、一日を大切に過ごし、ごまかしのない生活、生かされていることに感謝する生活をすることでゆとりが生まれ、悔いのない人生を送ることができるのです。

お彼岸のこの時期にご先祖様に感謝し、死や命について考えてみると良いかもしれません。

合掌