観音さまのお参りで

高山市 素玄寺 住職 三塚 泰俊

寒くて長い冬が過ぎ、ようやく飛騨地方にも春がやって来ました。暖かい日差しに誘われるように、少しお出かけをし、その途中にお寺めぐりなどをされる方も多いのではないでしょうか。

私も以前、飛騨の三十三観音霊場を、檀信徒の方々とご一緒にお参りさせて戴く機会がありました。観音様や円空仏などの様々な仏像をゆっくりと参拝する事ができ、とても有難く貴重な時間を過ごす事ができました。

観世音菩薩とは、「この世の人々の苦しみや悩みを救う為、その音や声を観察して、限りなく救済しようというお誓いを立てて、如来になろうと、修行をしておられる仏様」と言われており、古くから信仰も厚く、私達の身近におられる仏様です。

「観音経」という、よく読まれるお経には、お釈迦様が、観音様の様々な功徳力を説き示しておられます。その一節には、「観音の姿をおがみ、心に念じて時をむだに過ごさなければ、必ずやあらゆる苦しみから逃れる事ができるのだよ。」と説かれてあります。

力無く、悩み多き私達凡夫には、有難く、本当に心強いお言葉です。私も、そんな思いで何度観音様に手を合わせた事か、わからない程です。

この度の霊場参りに参加された方々も、心安らかなお顔でお参りしておられました。

そんな中で、お年を召されたお母様の手を引かれて、階段や坂道を寄り添って、三日間ずっとお参りされた息子さんがおられました。そのお姿を拝見し、相田みつをさんの詩を思い起こしました。それは「Tさん あなたがみていてくれるから いつでも背中があったかい あなたはわたしの観音さまだ」という詩です。私は「ああ、この息子さんはそのお母様にとっての観音様なんだなあ。」と感激を致しました。

それと同時に、観音様や仏様への信仰は只々おすがりするだけではなく、自分自身も観音様や仏様のみ心に近づく修行なのだと、改めて感じた霊場巡拝でした。