各務原市 慈眼寺 住職 宮崎證俊 師
私は数年前から体力作りの為に登山を始めました。
地元の低山から北アルプスの3000メートル級の山まで時間を見つけては登っています。
登山のマナーとして他の登山客とすれ違う時に挨拶を交わすというものがあります。
これは日常的なマナーであるという他に、遭難や滑落といった万が一の時の目撃情報に繋がるという意味合いもあります。なにより純粋に挨拶を交わしあうのは気持ちのいいものですよね。
私自身まだまだ登山初心者ですので、出来るだけ挨拶は欠かさないようにしています。特に初めて登る山では、下山してくる方にこの先の様子や注意点を聞いたりもしています。
しかし、挨拶しても毎回必ず返事が帰ってくるとは限りません。
相手をよく見てみましょう。急な登りで息を切らしていないか、会釈で挨拶してくれていないか、咲いている花や景色に夢中になっていないか。
マナーに固執して本来の登山の楽しみや目的を忘れてしまっては本末転倒です。
挨拶というのは元々、仏教の「一挨一拶」という言葉で、お師匠さまが弟子に悟りを試す禅問答に由来します。そこから一般的に広まり、人に会った時や別れる時に交わす言葉や動作となりました。元の意味を考えますと、互いの心を開き、向き合うことこそが挨拶なのです。温かい気持ちでふれあうことが大事なことであり、返事を期待してかける言葉が挨拶ではありません。
「おはよう」「おやすみなさい」「いただきます」「ごちそうさまでした」「ただいま」「おかえり」
何の為の誰の為の挨拶なのか。その時の状況にあった言葉や行動を心がけ、皆様が気持ちよく生活できる事を願います。