「修証一如」

瑞浪市 慈照寺 住職 石神 智道 師

仏教の花といえば蓮の花ですが、蓮の花はインドでは高貴な花として尊とばれています。その理由は2つあります。一つは、その根をドロ深いところに置きながら、茎を伸ばして素晴らしい花を咲かせること。人間もかくありたい、という理想の生き方を示しています。二つ目は、花が咲いた時その中心には既に実ができていること。つまり努力をすること(修)とその結果(証)が一体になっている姿を見せてくれています。努力と結果は一体、ということを「修証一如」といいます。

昨年末に横浜に居住している兄より連絡が入りました。兄からの突然の連絡に驚きつつその連絡を読みますと、姪の結婚式をしたいという連絡でした。特に昨今のコロナ禍の中では会うことも難しかった中での大変うれしい便りとなりました。

この結婚式と申しますとまずは新郎新婦の誓いの言葉が浮かびます。「変わらぬ永遠の愛」を誓い合うのが一般的でしょうか。ただ私はいつもこの「変わらぬ愛」というものには違和感を覚えてしまいます。お付き合いをしている時の愛、結婚をして二人での生活の中の愛、子供をもうけ育てている時の愛、それぞれ全く違うものと思うのです。少なくとも全く形の変わらない愛などというものはないのではないでしょうか。

では夫婦に限らず自分自身以外の人間と良い関係を続ける為に何が必要なのでしょう。またこれから家族という固い絆を築き上げようとする者たちが共に誓うべき言葉は何でしょう。それは漠然とした「変わらぬ愛」ではなく「常に想われ続けるような人であるよう努力をすること」ではないでしょうか。

今回結婚をする二人にも、この法話をお聞きの皆さんにも、普段から他の人に「良い関係でいようと努力し続けていくこと」を誓い、そうすることで他の人を「信頼していることを証明すること」を日々実践をしてもらいたいと思うのです。それこそが「修証一如」であり仏の教えなのです。