関市 千手院 住職 橋本絢也 師
私はお金がない。私は健康ではない。私は時間がない。私は搾取されたのだ。私は不幸なのだ。私はわたしはワタシハ…。ここにでてくる「私」とは一般的な私です。程度の差こそあれ、どなたの心のなかにも住んでいる「私」。
では一度考えてみましょう。「誰」と比べてお金がない、健康ではない、時間がない、不幸だ、等と感じるのでしょうか?お金のことはお金もちのAさんと比べる。健康の事はいつも溌剌としているBさんと比べる。時間の事は悠々自適なCさんと比べる。わざわざ「沢山持っている人」と私を比べているのではないでしょうか。偏ったサンプルとの比較は自分を良くも悪くも装わせます。その偏ったサンプルとの比較は執着を産み、渇愛を産むのです。
SNSやメディア等情報過多の現在、そういう「偏ったサンプル」が否が応でも目に飛び込んできてしまいます。さらに私たちはその偏ったサンプルが「良い物である」と錯覚させられているきらいもあります。
心身自らも愛すべし、自らも敬うべし。「他人との比較での私」ではなく、私そのものが行い選択してゆくその有様をつぶさに真摯に観察してみては如何でしょうか。