「一粒の種」・・『いのち』の大切さを・・

岐阜市 林陽寺 住職 岩水龍峰 師

朝のお勤めの後、犬と散歩に出かけました。ほど遠くない畑に沿って歩いていると早朝から、見慣れたご高齢のご婦人が、額から汗を一杯かいて畑仕事に勤しんでおられました。「おはようございます。」と声をかけ、今日のお仕事はとお尋ねしました。いつも珍しい野菜を丁寧に作っておられますので、何の種まきか興味が湧きます。

「今日はね‥2種類のカブラの種を蒔きました。あちらの畝は2粒づつ、こちらの畝は一粒づつ…蒔きました。上手く生えるといいですが‥蟻が食べるのですよ?‥あちらの畝に蒔いた種が、こちらの畝にあるのですよ?‥蟻が持ってきたのです。といって、元に戻してみえました。」小さな小さな種を一粒づつ蒔き、こころを込めて野菜作りに励んでおられるのです。まさに「ものの『命』の大切さを地で行く仏行」です。以前、友人から種を蒔くときには、ピンセットで一粒づづ蒔くんだよと教えられたことがありましたが、中々難しいことだと思っていました。

道元禅師様の教えに、永平寺の前の谷川の水で洗面‥柄杓で水を汲んで使った後、使い残しの水を地面にまいて捨てずに、川にもどせと教えられたということです。つまり、水にはいのちがある。そのいのちを使わせてもらったのであるから、余ればそのいのちを地面に捨てて殺さずに、川の流れに返して生かさなければならないという。

一粒の種でもその『いのち』を大切にされて農事に励まれる姿に感銘を受けました。