高山市 善応寺 住職 中井光博
平生の暮らしの中で、人に接する時、不用意な言葉や態度で接してしまう事があります。そういう言葉や態度は、人を傷付けてしまう事があるにもかかわらず、自分では気付かずに相手に対して、辛い苦しみを味合わせてしまいます。
些細な事で怒りや憤怒の相を表し、人を傷付ける事に対してお釈迦様は、「怒りに対して心を制御する事を精進する事が智慧を磨き、悟りに近づく」と言われております。
心無き不用意な言葉や、憤怒の相で他に接する事は、相手を傷付けると共に、自分自身の心を曇らせ、仏道修行とはかけ離れた、戒律をも疎かにする事となります。
私達は出来れば、常に愛情のこもった言葉、親切な言葉や態度を心掛けたいものです。
自分に徳となりそうな人には上手を言い、そうでない人には心無い言葉や態度で接する。自分より下とみれば馬鹿にしたり、あざけり、さげすんだりする事もあります。
出来れば、どんな方にも同じような態度で、優しき慈愛の心を起こして接したいものです。
道元禅師は「愛語は愛心より起こる。愛心は慈しむ心を種とせり」とおっしゃっております。
私達も日頃から自分の言葉や態度を、よくよく考え、慈しみの心を元とするような、自分も他人も共に心安らかになるような言葉を使い、また、そのような態度で人に接していきたいものです。
四月になり、私の暮らす飛騨高山もようやく春めいてまいりました。
春は、新たな気持ちでの出発の時期です。
そんな春に、気持ち良く愛心愛語の心で人に接していきたいものです。