恵那市 高安寺 徒弟 各務 泰裕 師
「諸行無常」。ほとんどの人が一度は耳にした事があるであろう、
仏教の言葉のひとつです。読んで字の如く、“諸々の現象は常に移り変わり、
永遠に変わらぬものはない“という意味です。私がその「無常」を初めて強く
意識したのは、私が十九歳になる誕生日の頃でした。その日、何気なく目を向けた時計の秒針が“カチ、カチ、カチ、”と、絶えず時を刻んでいるのに気付いた途端、
「誕生日や元日といった節目に限らず、一秒、また一秒と自分は未来へ進んでいて、
そして、時計の針が逆向きには回らないように、一年、一か月どころか
たったの一秒すら取り返しがつかないのではないか」という考えが頭をよぎり、
それがひどく恐ろしかったのです。それ以降、時折その恐怖がふと首をもたげては、
しばらくの間私を苛むのでした。
そんな恐怖を拭ってくれたのは、總持寺を開かれた瑩山禅師が遺された
「茶に逢うては茶を喫し、飯に逢うては飯を喫す」というお言葉でした。
「お茶を出された時にはお茶をいただき、ご飯を差し出されたならばご飯をいただく」。
初めてその言葉を目にした時は“何を当たり前のことを”などと捉えてしまった
ものですが、後に「雑念を交えず、今、目の前の物事だけに集中する」という
教えを示されたお言葉であると知った時、私の中にあった時間に対する恐怖は
影を潜めていたのです。思えばこの恐怖は、過去や未来といった決して手が
届かない所に執着していたが故に生じていたものなのだと思います。
さて、今もなお秒針は時を刻み、万物は絶えず移り変わっています。
そして、それを惜しむ気持ちがあるからこそ、限りある命の、今、この瞬間に
意識を向け、大切にしたいと思うばかりです。
