墓参り

飛騨市 光明寺 住職 藤戸 紹道 師

これは聞いた話です。今から二百年ほど前、風外本高(ふうがいほんこう)という風変わりな坊さんがいた。この和尚の絵がまた素晴らしく蛸風外と言って世に珍重されている。彼のこの寺は破れ放題に破れた荒れ寺だったが、風外は一向頓着もなく座禅と修行に余念がなかった。

そこへ、大阪屈指の豪商、川勝太兵エがやってきた。彼は大きな悩みを抱えて進退窮し、風外に指導を仰ごうと思ってきたのだった。彼は自分の苦しい現況を述べるのだが、和尚はまじめに聞いてくれない。というのは、和尚は先刻からあらぬ方向を見つめている。一匹の虻(あぶ)が障子にぶつかっては落ち、また飛び上がっては障子にぶつかって落ちる。それをジーっと見つめている。

たまりかねた太兵エ、

「方丈様はよほど虻がお好きと見えますなぁ」

というと、

「おお、これは失礼」といい、

「太兵エ殿、よくごらんなされ。この破れ寺、どこからでも外に出られるのに、あの虻、自分の出る処はここしかないとばかりに障子にぶつかっては落ち、飛んではまたぶつかる。このままだとあの虻、死んでしまう。しかし太兵エ殿、これと同じことをやっている人間も多いでのう・・」

この言葉を聞いて太兵エ、グァーンと頭を殴られた思いだった。

「ああ、そうだった。わしはこの虻とおなじだったんだ。」と、風外和尚の教えを身に染みて感じ取り、厚く礼を述べると、和尚は、

「お礼はあの虻に言いなされ。これが本当の南無あぶ陀仏だよ」いや失礼、南無釈迦牟尼仏。

むかし、よく、何か悩み事が或る時は先祖の墓参りに行けと言われた。先祖が何かしてくれるわけではないが、その行く途中に会った人が、手助けをしてくれるきっかけとなることもあるし、話にのってくれるかもしれない。また、人に言えないことでも、先祖にはしゃべれて、気がはればれとするものである。墓参りにいって先祖と語らってきてください。