飛騨市 慈眼寺 住職 原田好崇 師
身近な方、愛する方を見送るということは私の経験からもいかに心に大きな傷を受けるかということがわかります。身体的な傷であれば、自分も他人も傷の深さはわかりますが心の傷はどんなに深い傷であっても外からは見分けにくいものです。身近な人が亡くなったとき突然涙が出てくる、将来どうなるんだろうと不安になる、生きていく希望を失う。こういったことは誰にでも起こることです。誰にでも起こりうることなんだと受け入れ自分を大事に見守りましょう。
大事なのは自分の気持ちを自分の中だけに溜め込まないことだと思います。誰かに聞いてもらうことが助けになることもあります。「何も言わなくてもいいからただ聞いてくれ」と頼んでもいいかもしれません。へたな慰めは逆効果になることもあるからです。人に甘えて自分中心にさせてもらいましょう。聞くだけなら甘えられる側も協力してくれることでしょう。
心の傷は完全には消えることはないかもしれませんが、時間と共に確実に回復していきます。
どんな方でも時間は平等に過ぎていきます。仏教ではこれを「諸行無常」といいます。すべては移り変わり永遠に変わらないものはないという教えです。生きている以上必ず老いそして死を迎えなければなりません。
一休和尚の詩に 門松は 冥土の旅の 一里塚 めでたくもあり めでたくもなしという詩があります。これは正月はめでたいがその分冥土へ行くときが近づいたことになるのでうれしくもあるが悲しくもあるという意味です。
修証義というお経ではこうした内容を説かれています。このお経は一から五章まであり大変長いお経ですがお亡くなりになられた方が仏弟子となる為の行いや生きかたなどが書かれています。この修証義の五章に
光陰は矢よりも速やかなり身命は露よりも脆し、・・・・・
という一文があります。これは時が経つのは光のごく早くそして人の命は一滴の露のように脆い、・・・・・
簡単に解釈するとこう言った意味です。
すべての生あるものには平等に諸行無常があり、光陰は矢よりも速やかなり身命は露よりも脆しです。
同じ諸行無常であるならば後悔しないよう前を向いて過ごしていくようにしたいものです。