飛騨市 長久寺 住職 守田智昭 師
十年程前、お寺の雪囲いの撤去作業中、自分の不注意により足場を滑らし、二メートル位の高さから、落下した事があります。
頭から落ちていったので、手で防いだものの、地面のコンクリートに顔面を強打し、意識を失いかけました。一瞬視界はテレビの砂嵐状態になり、痛さの中で意識が遠のいてゆく経験を致しました。その時、死ぬという事は、この様に突然訪れるものなのだと、実感しました。
顔面は腫れあがり、左腕は骨折しましたが幸い脳に損傷もなく、軽いけがで済みました。仏様のお陰だと、つくづく感じたものです。
さて、人は何故死ぬことが怖いのでしょうか。きっとそれは、誰もが一度も死んだ経験がないからなのだと思います。死ぬ時どうなるか分からない。死んだ後どうなるかもわからない。大切な人との別れの悲しさ。その様な不安が、死の恐れに繋がっているのでしょう。
お釈迦様はおっしゃいます。生まれたものは必ず死ぬと。生れる事が自然であるように、死ぬことも自然な事なのであります。自分が死ぬことで、次に命を譲っているのです。
みんなそれを分かっていながら、直視すると不安なあまり、どこかで、この現実を胡麻化そうとしているのです。
さらに、お釈迦様は、おっしゃいます。「死は決して恐れる事ではない」と。
恐れるべき事は、「いつ死ぬか分からないこの自分が、今を『ちゃんと』生きてこなかった事」に対してであると。
いざ死を迎える時に、後悔することが無いように、今、出来るうちに、やりたい事、伝えたい事を、「しっかり」と「ちゃんと」しておきたいものであります。