「お彼岸を迎えるにあたり」

大垣市 龍松寺 住職 西澤峰靖 師

暑い時期が続きますが、一般に暑さ寒さも彼岸までと言われますように、暫くもしますとお彼岸を迎え、しのぎやすい時節となってまいります。

さて、お彼岸になりますと、日ごろ怠りがちなお仏壇やお墓の掃除をし、ご先祖様の霊を慰め、供養するのが私たちの生活習慣となっています。私たちが今日、いまの暮らしができていますのは、ひとえにご先祖様のご遺徳のお陰なのです。私たちが人間として今を生かされている背景には、ご先祖様が行ってきた善行の集積があるわけでして、そのおかげで私たちは人間として生を受けることができているのであります。

その恩恵に感謝のまことを捧げるのは、生きている私たちの勤めであります。それが、自然にお墓に参り、お仏壇にお参りする姿となるわけです。

お彼岸は「自分は常日頃、ご先祖様の恩恵に報いるだけの事をしているであろうか」と自分に問いてみる機会でもあります。ご先祖様に恥じない生活をしていかなければなりません。

彼岸はもともと仏教の言葉でありまして、彼(か)の岸と書きます。仏の教えでは、向う岸を理想の世界・悟りの世界と申しています。向う岸があれば、こちらの岸もあるわけでして、こちら岸を迷いの世界にたとえています。つまり、迷いの岸から悟りの岸・まこと(真実)の岸に渡りましょう、という教えなのです。

お彼岸とは、私たちが日頃、まこと(真実)の生活をしているか、恥じない人間として暮らしているかと、あらためて自分自身に問う良い機会であると言えます。

家族がそろって、この機会に、ご先祖様に感謝し、ともに喜びや悲しみを分かち合い、争いや迷いから、可能な限り遠ざかるよう心掛けて、努力精進する良い機会としたいものです。