かけがえのない一日

岐阜市 吉祥寺 住職 志比道栄

皆さんこんにちは。修証義の5章に「月日は飛ぶ弓矢よりも早く過ぎ、私たちの体や命は朝露よりもはかない」と道元禅師は言われています。

檀家のお母さんたちとお話していると、「おっさま、80も過ぎると一年があっという間でね。またすぐにお正月がやって来る。」とよく伺います。

本当に年を取るごとに、日々の生活や時間の経過が早く感じられます。でも何故でしょう?どの人にも時間は等しく一日24時間、一年は365日あるはずなのに、なぜ年を取るにつれ私たちは一年一年が早く感じられる様になるでしょうか?

それは10歳の子どもが10回お正月を迎えるよりも、80歳の大人が80回のお正月を迎えるに当たり、知らず知らずの間に「慣れや経験」が身に付き、次は何が起こるのか、この季節は何をしなければいけないのか。など次の出来事を予測してみることが出来き、習慣が身に着くからです。

例えば小学1年生の孫が、朝顔の種を植えいつ芽が出るか、そわそわわくわく待つ時間は長く感じられ、祖父母が畑に植えた野菜の苗には、この施しをすれば夏には収穫出来ると予測が出来ているのと同じです。

また別の例えをすると、初めて自動車で行く知らない場所への運転は「この道でよかっただろうか?時間は間に合うだろうか?」など色々な事に思いを巡らせ長い時間と距離に感じられますが、帰り道同じ道を戻ってみると意外と早かったように感じます。

小学校の6年間が中学高校の6年間よりも長く感じられたのは、私たちは初めて経験している時は印象とともに時間を長く感じ、一度経験したことは「またか」の気持ちが知らず知らずに気持ちの中に生まれ、新鮮さを失い、印象に残らない時間を過ごしているからと言えます。

同じ一日でも今日は昨日と違います。明日でもありません。今日はもう二度とない今日だけの時間です。

修証義の続きに「無意味に百年過ごすのは取り返しのつかない時間であり、悲しい自分のいのちの使い方である。」と示されています。

しかし私たちは毎日毎日、心ときめくような出来事ばかりには出会わないでしょうし、ハラハラドキドキを求めていつも出歩く訳にもいきません。でも、私たちのいのちは一秒一秒短くなっていますね。

朝目覚めて今日を迎えた自分のいのちに感謝、ごはんが今日も美味しく頂ける自分の体に感謝、楽しい鳥のさえずり・美しく咲いてくれる季節の花のいのちに感謝、私を守ってくれる全てに感謝。毎日の生活は大変ですけど、感謝の気持ちを持て生活できれば、今日の一期一会の出会いや出来事に、新鮮な気持ちと充実した一日の時間が持てると思います。