テレフォン法話

曹洞宗岐阜宗務所では電話による法話の発信を行っています。
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御参り

関市 延寿寺 住職 早川明宏

私たちは、父母祖先という縦の人間関係と社会連帯という横の人間関係を持っており、この縦と横の二つの線の交叉した一点にたっているのが私どもなのです。日本では従来、縦の人間関係を重んずる社会構造でした。それが終戦後“封建的だ”と、批判されるようになり、それに伴って民族の伝承や先祖代々の家系の中に培われてきた美しい伝統と活力が失われてきました。しかし、時の動きに左右されず、ここで忘れてならぬことは、先祖あっての私だという事実の確認です。草花にたとえるならば、私どもは花であり、祖先は根に相当します。切り花はどんなに美しくても、根がないのですぐ枯れてしまします。美しい生命の花をいつまでもさかせておくには、根を大事にしなくてはなりません。根を大切にすること、それが孝順心であり、供養のまごころであります。お墓参りをし、法要に参列して、縦横二つの軸に生かされている自分をみつめ、真に望ましい人生を生きる活力を養いたいものです。

分け隔てなく

関市 正林寺住職 荒田 則翁

今年もお盆の季節がやって参りました。皆様方それぞれにお盆を迎えられることと思います。飯田蛇笏に「信心の母にしたがふ盆会かな」という句がありますが、お子さん、お孫さんと一緒にお盆を迎える準備をされることをお勧めします。思い返してみますと、わたくしも子供の頃、母に連れられて墓掃除に行きました。そうしてご先祖様の話や親戚の話を教えてもらった覚えがあります。田舎では墓地は山の中にあったり、無縁の墓が竹藪に隠れていたりしました。それらは我が家とは無縁の墓でしたが、母は「みんなの仏様だよ」と藪を切り開き掃除をして、お花を供えました。それらを手伝ううちに、自分のお墓を掃除すればよいだけではないことを、母は教えてくれました。

お盆は逆さずりされた状態という、おどろおどろしいいわれによります。それは、お釈迦様の十大弟子の一人、目連尊者の母が、餓鬼道に落ちて苦しんでいました。目連尊者の母はわが子だけを大切にして、他人には強欲でとても意地悪な人であったそうです。そのため地獄に落ちて苦しんでいたのです。そこで目連尊者はお釈迦様に相談すると、修行僧に衣服や食事を分け隔てなく供養しなさい。そうすればお母さんを救い出せるだろうと言われました。私どもはともすると自分だけ、自分の家族だけ、岐阜県だけ、日本だけと思いがちです。そうではなく、分け隔てなく供養する心をお盆を通して家族で学びたいものです。それには家族そろってお盆を迎える準備をしてはいかがでしょう。

感謝する心

関市 永昌寺住職 鬼頭賢定

私たちが生きていくのに一番大切な物は沢山色々とありますが、その中でお水についてお話をします。私たちは、常に水を大切にし、感謝して毎日を過ごしているでしょうか。毎日、水を無駄に使っているのではないでしょうか。

昔、禅寺に宜牧というお小僧さんがいました。或る夕方お師匠さんが庭にタライを出して湯と水を汲んでお風呂の代わりに体を洗おうとしていました。少し熱かったので「おい宜牧そこの桶の水を持ってきておくれ」と言いました。宜牧は「はい」と返事をして桶を手に取り、中を見ると少し水が残っていたので、何気なく庭に捨ててしまいました。すると行水をしていたお師匠さんが大きな雷のような声で「コラッ宜牧、今、水を捨てたな、捨てた水を拾え」と、どなられ、びっくりした宜牧は、どうやっても拾うことが出来ません。これはお師匠様が「捨てた水を拾え」と言われたのは、水と一緒に捨てたお前の心を拾えということです。何の気なしに物を捨てるお前の心をもう一度じっくりと振り返り、すべての物の命を大切にする仏様の心を常に忘れないように自分のものとして修行せよ、と言う有難い教えなのです。

この宜牧少年が、この教えを一生のいましめとして、感謝の心を忘れず修行し名前も水に関係をもつ滴水と名付けられ立派な禅寺様となられ多くの教えを残されたのです。

私たちも、多くの物に支えられ生かされていることを忘れずに感謝の日々を過ごしましょう。

親と兄弟

関市 寿福寺 住職 大石 啓二

私が小学校5年生・昭和34年11月2日のことです。授業中に先生から家に帰りなさいと言われ、家に帰ると、母が布団に包まれている姿を見た。母の死であった。母は今で言う咽頭がんで心臓も弱く一年のうち半年は病院、週一日は病院という生活でした。が、優しい人でした。

私の生れた家は、兄が4人、姉が2人という7人兄弟。私はその一番下でした。父は僧侶で、また中学校の教師を勤めており、酒が大好きな人でした。

母の通夜や葬儀の時、近所の人や檀家の方々から可哀そうに可哀そうにと言われるのが嫌でたまりませんでした。この悲しみは本人でなければ分からないと思ったので、私はたやすく他人の悲しみに同情はしません。言い過ぎかもしれませんが・・・。また、母の死が夢であってほしいと思い、自分の頬を叩き強くつねったりもしましたが夢ではなかった。現実なのだと実感しました。

母の死から5年後、昭和39年オリンピックの年に父が私の目の前で突然倒れ、そのまま帰らぬ人となりました。父の死のその場で私は7歳上の兄に、「僕は坊さんになりたい」と言ってしまったのです。なんでそんなことを口に出したのか覚えてはいません。が、兄は快く「よし、わかった」と言って下さり、お金の事その他いろんな面で迷惑を掛けました。

時が経ち一番上の兄、三番目の兄と亡くなりましたが、私を大学まで行かせてくれた兄の死は、父母の死とは違った思いがありました。兄には亡くなるまで色々な苦しい事、結婚の事、その他色んなことを相談してきましたが、相談する相手が突然亡くなり漠然となりました。親代わりや師匠になって頂いたこと有難く言葉では言い尽くせません。また姉2人と仲が良く、特に迷惑を掛けることもなく暮らしていることに感謝しています。

人間関係の難しい時代です。が、父母兄弟らの死の事を思い起こせば「無事であることの幸せ」と思う今日この頃です。

おかげさまで

長福寺 住職 萼 正裕

「仏さま、物をあげても、食べてくれないし、ありがとうとも言ってくれない。いったい何のためにあげるのか。」という質問を受けたことがあります。私たちはふだん「この頃如何ですか。」というと「おかげさまで」と挨拶する。この簡単な、言葉のやりとりで、心が通じ合う。しかし、何気なく使っている「おかげさま」ということの意味を知っているでしょうか?

上の“お”と、下の“さま”は、お釈迦様というのと同じ敬語であって、“かげ”とは陰、つまり御霊のことである。即ち、この「お陰様」という意味は、自分自身努力もし、注意も払っているが、それにもまして、自分をこの世に送り出してくれた祖先の御霊が、見守ってくれるから、家運も降昇し、家族一同健康で過ごしているというのである。その祖先の御霊に対する、自然に生まれた感謝の表現が「お陰様」という言葉であり、またお供えものである。昔の人は、祖先の御霊に対してだけでなしに、生きている人の御霊に対しても、同じように心づかいをした。

旅に出た人が、旅先で、ひもじい思いをしないようにと、あたかもその人が家にいる時と同じように、お膳、つまりは陰膳を据えた。もちろん食べてもくれないし、ありがとうとも云ってくれない。にもかかわらずそうせずにはおられない気持ち、これが供養のまごころなのです。

言葉の温度・心の温度

関市 天徳寺 住職 水野 弘基

こんにちは、今回は温度ということに着目してみたいと思います。皆さんは、色に温度がありことを御存知でしょうか?

もちろん摂氏何度とかの単位では測れません。アルファベットのKを用いてケルビンという単位で表されます。太陽や天体の色、或いはLED電球の色、またデジタルカメラのホワイトバランスなどで使用されます。

赤からオレンジ色、黄色、白、水色、青、紫と不思議なことに暖色と言われる赤っぽい色が3000ケルビンぐらいで白が5000~6000ケルビン、寒色と言われる青っぽい色は10000~12000ケルビンと冷たく感じる色ほど色温度は高くなるそうです。

さて、私もよくコンビニをよく利用しますが、自動ドアが開くとすぐ「いらっしゃいませ。こんにちはー」と声が響きます。ふと目を向けるとレジを打ちながら、もしくは棚に商品を並べながら・・・マニュアル化された言葉に温度はあるのでしょうか?もちろん心からいらっしゃいませという気持ちで言っておられる方も大勢いられることでしょう。しかし、決まりだから仕方がなく言っていると思われる人も多く見受けられます。むしろ「いらっしゃいませ」の言葉がなくてもにっこり微笑んで目で会釈された方が暖かい気持ちになるのではないでしょうか?昨今人との連絡は電話よりメールやLINEのメッセージ。買い物をすれば自分でバーコードを読み取るセルフレジ。商品を買うと「まいど、おーきに」としゃべる自動販売機。ともすれば一日一言もしゃべらなくても過ぎていく世界。そしてそれを自然に受け入れてしまっている自分がいる。

技術の発展ととんぉに非常に便利になった世の中。しかし・・・しかし残念だけれど、何か私たちは大切なものを、どこかに置き忘れてきてしまったように思われます。

支えあう

多福院 住職 市橋 正信

梅雨の季節もピーク、間もなくすると梅雨も明け、スカッとするような夏の訪れが楽しみな今日この頃です。みなさん、いかがお過ごしでしょうか。日本経済は、アベノミクス効果により景気が上向き、経済的に豊かな社会を取り戻しつつあります。反面“格差”という言葉も、以前にも増して現れ、社会問題化なりつつあります。他方、ブータン王国では、一人あたりの国民総所得が約20万円と、決して高くありませんが、国民総幸福量という政策により、国民の97%は「幸せ」と回答しているそうです。この「国民総幸福量」という政策は、経済成長を重視する姿勢を見直し、伝統的な社会・文化や民意、環境にも配慮した「国民の幸福」の実現を目指した政策だそうです。

誰しもが、経済的豊かさを求めることが当然ですが、本来、人として求めるべき所ではないかと感じるところです。

ブータン王国の「国民総幸福量」という政策の背景には、仏教の価値観があるそうです。その一旦は、お釈迦様が説かれた“利他行”にあると考えます。

“利他行”とは人は「人のために生きる」という大前提にあり「人様を幸せにできないで、自分が幸せになることはない」ということです。

東日本大震災被災地域では、今なお、厳しい生活を強いられていますが「絆」と大切にし、お互いを支えあい、勇気づけあい、今日まで頑張っておられます。

このご時世、希薄社会とも言われています。利他行の実践が、価値ある人生の一旦と担うと考えます。

希望の灯火

増徳寺 住職 長宗一陽

ある日、庭を掃いていますと「こんにちは、お参りさせてください」と声がします。振り向くと、母親と四・五歳程の元気な女の子の姿が見えました。お参りが終わると、本堂から出て来られ、話を伺いました。「この子は仏像がとても好きです。子どもと出かける時はいつもきまってお寺を探して出かけます。」と言われました。「仏像が好きだから手を合わせるのですね、将来が楽しみです。」と話しました。

道元禅師の「渓声山色」この章は仏道を学ぶ者の心構えを説かれています。「仏祖を仰観すれば一仏祖なり」この言葉は「仏様に憧れたら、そのときはもう仏様になっている」「仏像に憧れたら仏像に入る」「友達に憧れたら友達に入る」と言う意味です。又その裏側では、悪しき行いに憧れたら悪に入る。何事も憧れるだけで、もうすでにその中に入っているのです。

このお子さんは、仏様に憧れ仏を心の中に抱き、仏様と共に過ごす時間が幸せなのだと思います。普段何気ない生活の中にも希望を持ち、お話しているニコニコして明るい子供でした。

私たちの生活の中で、恐怖心に襲われたり、怖い出来事が起きたときは、仏様を思い出してください。仏を思い出せなければ、お釈迦様の言葉を思い出してください。言葉を思い出せなければ、親・兄弟・仲間を思い出してください。

命の尊さ

光源寺 住職 田中 和彦

この法話を録音しているのは二月の半ばです。昨年秋から世界的に政治が乱れ、日本においてもテロに対する危険が身近になってきました。人の命を懸けて駆け引きが行われ、殺し合いが起こっています。

お釈迦様はお生まれになられたとき、七歩歩んで右手は天を、左手は地を指して「天上天下唯我独尊」とおっしゃられました。天にも地にも我という存在は一人しかいない、だからとても尊い存在なんだ。と言うことです。これは、私にとってもこれを聞いてくださってる皆さんにとっても言えることです。スペアのないたった一つに命を戴いた私たちは尊い命同志助け合い慈しみ合って生きていかなければならないと思います。

しかし、現実には立派な学力を持つ19歳の女子大生が77歳の女性を「一度殺してみたかった」との理由で殺人を犯したり、ともに近所の22歳の男性が小学5年生の男児をナタやナイフを使い殺してしまったりと、信じられないような事件が相次いでいます。他人を変えると言う事は容易なことではありません、しかし自分の人生を変化させることは出来る筈です。

自分の人生をより安心できるより良い方向へ向けていくためには、間違いを犯さず、慈悲の心をもって人とのかかわりを大切にし、一日一日を「あー今日もよい一日だった」と思える暮らしを続けて行きたいものです。

御供養すること、生きて行くこと

大垣市 全昌寺 住職 不破 英明

本年2015年は阪神・淡路大震災から二十年という節目にあたる年です。神戸の街は多くの方の願い・努力により復興をとげていますが街を襲った地震による悲しみを市民の誰もがわすれてはいません。

当時私は神戸市にて学生生活を過ごしていましたがそれまでの価値観を根本から覆すような出来事でした。震災のために友人・知人を無くしあらためてこの世の無常というものを考えずにはいられませんでした。

なにかしら同じ気持を共有したいという思いから御家族をなくされた方々の手記を読ませていただくことがありましたが、その中で大事なお子様二人を震災で亡くされたお父様のお話が強く印象に残っています。そのお父様は毎日お子様二人分の食事をご仏前にお供えし続け、自分の心の中で二人のために灯をともしているので、二人は今も自分の心の中で生き続けていますとおっしゃられていました。

私たちが大事な家族をなくしたときに、故人を忘れないよう自分の心の中にその方のための場所を作って差し上げ、そこに灯をともし続ける。そして心の中のその方とともにこの無常の世を丁寧にしっかりと生き抜く。それが故人への一番の御供養であり、また仏様とともにある私たちの姿なのです。