テレフォン法話

曹洞宗岐阜宗務所では電話による法話の発信を行っています。
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高齢化社会を生き抜くために

岐阜市 東林寺 住職 川村尚文 老師

私は平成21年11月から岐阜市民生・児童委員をやらせていただいています。

今、日本は高齢化が進み、65歳以上の高齢者が総人口に占める割合は平成26年10月で26%を超えました。

因みに、私の担当している地域も例外ではなく、昔からの集落では66軒のうち65歳以上の人がいない家は、僅か5軒です。

また、昭和40年代に開発して建てられた、100戸近くと50戸ほどの二つの団地は、子どもは成長し他県や県内の便利の良い市街地に移ってしまい、空き家や高齢の親のみが生活している家が目立ち、校区の高齢化率は33%を超えています。

そんな100戸程の団地の中で昨年6月に孤独死がありました。

団地の一画に住んで居られたYさん、脚が少し不自由な70代の奥さん

平成22年最初に訪問した時は、御主人は、大垣市内で建築業を営んでおられて、Yさんは、御主人の会社の経理を自宅で手伝っているとのことでした。

それから、2年程して、ある調査で訪問した時「ご主人が亡くなり、喪儀を済ませたところです。」とのことでした。その時に自分が僧籍があることからか、ふと「喪儀は、どこのお寺でなさったのですか?」とお尋ねし、市内の浄土真宗○○寺と訪問日誌にメモをしました。

そして、昨年6月12日夕方 自治会長さんから「Yさんが自宅で死亡が確認された。Yさんの身内の方の連絡先を知りませんかと電話があり、Yさん宅へ駆け付けると、警察の方も居られて、色々聞かれましたが、結局 先の訪問日誌「浄土真宗○○寺」のメモを手掛かりに、その後も身内の方が見つかり、6月26日「○○寺」さんの導師で喪儀が行われ、Yさんは無事 荼毘に付されました。

曹洞宗東海管区教化センター 統監老師の新年所感にありましたが、疲弊した現代社会を生き抜くためには「おすそ分け・思いやり・おもてなし」といったものを絶やさないようにして、地域の人で地域を守っていくことが大切だと思います。

私たちのお経「修証義」にあります「布施」、物でも 心でも 惜しみなく分かち合い、お互いに生かし合うことを実践していきましょう。

 

良き人生の為の行動を

揖斐郡揖斐川町 月桂院 住職 杉山秀峰 老師

団塊世代の退職時期に入り、年金で生活している方が多くいらっしゃいます。退職後も仕事に就ける方は良いのですが、誰しもが就けるとは限りません。その日を何となく過ごしている人をよく見かけます。

曹洞宗の経典『修証義』第五章の中に「徒らに百歳いけらんは 恨むべき日月なり悲しむべき形骸なり」という言葉があります。「たとえ百歳という長寿に恵まれたとしても、欲望だけを追い求めるような無為な日々であるならば、それは悲しむべきことである」という意味です。

私達は、これといった予定もなく、何をするでもないような一日を過ごしてしまった時、「ああ、今日は一日無駄な時間を過ごしてしまった。」と思ってしまうことはありませんか。「人生に無駄なことはない、何かの役にたっているはずだ」と、言い聞かせてみても、「うーん、やっぱり無駄だったかな」と思ってしまうのはなぜなのでしょう?

それは年齢を重ね、日々死に向かっている事実を少なからず肌で感じる中、「今日は、これをやった、あれもやった」といえるような事をしないと、つい無駄な時間を過ごしてしまったと思ってしまうのかもかもしれません。人の命には限りがあり、それぞれに与えられた時間を生きています。限りある時間であるならば、人生を長い短いで片づけるわけにはいきません。私たちが生きているのは、昨日ではなく、明日でもありません。今を生きているのです。

それでは、かけがえのない今を、今日一日を大切にするためには、どうしたらよいでしょうか?それは若者のように、興味や関心、好奇心を持ち続けることではないかと思います。

何かを始める事です。けして大げさなことでなく「笑顔で挨拶をしよう」とか「毎日散歩に出かけよう」時には「読書をしよう」など、どんなことでもよいのです。何かをしてみようという思い、その思いから生まれる行動力こそが、今日一日を大切に過ごし、良き人生に繋がっていくのではないでしょうか。

良き人生の始まりに、遅いということはありません。今から何かを始めてみましょう。

もう一つの修行

不破郡垂井町 薬師寺 住職 松原義範 老師

私たちの曹洞宗は修行というものを大切に考えています。お坊さんは仏の道をめざし出家して仏道修行に励みます。みなさんもご存じのように修行の中心は坐禅です。一本の線香が煙る約40分の間、静かな部屋で姿勢を正して無心に坐ります。

では、お檀家さんの修行は何でしょうか。皆さんの子供さんはこの現実の世界の中で活躍されていると思います。最近は学校を出ただけでは上手くいかず、パソコン操作ができないと就職にも不利になると聞いたことがあります。お檀家さんの方々も新しい知識や技術を習得するためにがんばっています。

さて、曹洞宗の高祖道元禅師様は坐禅やパソコン研修も大切な修行であるがもう一つの別の修行が重要であると述べておられます。『修証義』第四章のはじめに「菩提心を発すというは己れ末だ渡らざる前に一切衆生を渡さんと発願し営むなり」とお示しです。その意味は、自分の事はさておき他の人々を第一に考え行動する、という教えであり、坐禅や研修とは異なる別の修行です。

数年前タイガーマスクと名乗る人々が児童養護施設にランドセルを贈りました。彼らは養護施設にいる子供に思いをよせ、子供たちが来年の4月になると、小学校に入学することを知りランドセルが必要になることに気づき、児童養護施設にランドセルを贈りました。

この行いこそもう一つの修行なのです。この修行によって、お坊さんは坐禅修行を深め、お檀家さまは現実の生活を豊かにすると思っています。

「相手を思うこころ」を育てよう

岐阜市 林陽寺 住職 岩水龍峰 老師

縁あって、青少年育成市民会議のお役をいただき、地域の安全・安心を守るべく活動をしております。そうしたお役には充職があり、最近では教育委員会から小学校や中学校の評議員の辞令をいただき、授業参観などを通して、親目線でない視点からのお話を求められます。

子ども達からは通学途上や学校の中で、大きな声で「おはようございます」「こんにちは」などと声をかけられ、運動会などで一緒に走ると、年を取るのを忘れてしまいます。とても有り難いことです。

さて、どの学校にも教育目標があります。「だれにも笑顔で学校生活を送れる〇〇小学校」「自ら学び 心豊かに たくましく生きる子」さらに「相手を思う」具体的には「あいさつ・そうじ・伝え合い」などの標語が、廊下などに掲示されています。

学校に掲示されていると、我々が大切にしようとしている禅の教えと異なるように思いますが、なんと、同じですね。

夏休みに各地で「子ども禅の集い」が開かれます。そこで使われるテキストに「つどいのしおり」があります。

『修行』って何!難しいことのように思いますが、実は「本当の自分と向き合うこと」、「一瞬一瞬を大切にすること」それは「ふだんの生活の中でしている何気ないことを大切にしていくこと」だよ・・・等と教えます。

具体的には、一つ、大きな声であいさつをしよう。二つ、生活の一つ一つを大切に。三つ、みんなと積極的に話をしよう。等です。

相手を思い、相手をお互いに認め合うことです。そして、掃除をしたり、一緒に食事を作ったり、ゲームをしたり、具体的に活動をしていくのです。

このようにお寺でも、学校と同じように子ども達を育て上げるような場があるのです。皆さんも、どうぞ、夏休み等にお寺を活用していただき「他に人を思う、相手を思うこころ」を育てていただきたいと思います。

いのちをつなぐ「はし」

各務原市 宝禅寺 住職 宮崎證俊 師

テレビのニュースで海外の学生の方々が、東日本大震災の被災地を慰問され、津波にあわれた人から、その時の体験談をうかがったり、復興の様子を学ばれたりしておられることを伝えていました。

その学生さんたちの代表の方が、私たちは国と国をつなぐ「橋」になりたいと現地の方々とのお別れの席で述べておられました。

私たちは国と国をつないで、お互いに助け合っていくことが大事だとも述べていました。

たしかに国と国をつなぐ助け合いの架け橋が、やがて人と人を結ぶ懸け橋になり、心と心をつなぐ橋にもなると思いました。

「はし」はつなぐ役目をもっています。

さて、私たちがお食事をするときに使う「箸」はどうでしょう。

字は違えど「はし」というからには、何かをつないでいるのではないでしょうか。

食べ物を一つひとつ口まで運んでくださる二本の「はし」

そこには沢山の意味があると私は思います。

その一つは食べ物のいのちを戴いているということです。お肉もお野菜も、そのいのちを「はし」が運んでくださり、私達は生かされているのです。

そう思いますと「箸」に感謝しなければなりませんね。

私自身も「はし」のように、あとに続く人たちの架け橋になれたらと、慰問くださった学生さんを見ながら思ったことでございます。

生き抜く力

岐阜市 洞泉寺 住職 岸 真量 老師

花々が咲き誇り、日差しが強くなるこの季節。道端にはタンポポが綿毛を飛ばしていたり、まだ花をつけているものがあったりします。花が大きく背の高いのが西洋タンポポで、控えめで背の低いのが日本のタンポポだそうです。風にその身を任せ運命を託して、たどり着いたコンクリートやアスファルトのひび割れなど、わずかな隙間に長い長い根を伸ばしてしっかりと生きています。

その根は長いもので70センチから1メートルにもおよび、大地の栄養分をしっかりと吸収しています。タンポポの本タオは花ではなく地面の下の長い長い根っこにあります。何千年何万年と続く進化の過程でタンポポの御先祖様が蓄えてきた力なのです。

人や車に踏みつけられても、すぐに立ち上がり、たとえ、その花が折り取られても、しばらくすると脇から新しい花芽が出てきて、生きること、子孫を残すことをあきらめることはありません。誠に辛抱強く、したたかに生き抜いています。

さて私たち人間は少しのつまずきですぐに悲観したり、もう駄目だと諦めたり、努力もしないで人に文句を言ったり、あるいは鬱になったりしていませんか。どんなに厳しい環境でも、どんなに運命に踏みつけられても、生き抜く力は私たちにも備わっているはずです。私たちの命の根っこも何千年、何万年と続く御先祖様から受け継いだ命ですから、苦しくても立ち上がって花を咲かせ、どんな場所でも強く生きていける力があるはずです。タンポポの花のように。

雨宿り

岐阜市 自福寺 住職 古川元弘 師

私は住職になる前、郵便局で配達の仕事をしていました。それはまだ就職して1年目の事です。暑い夏の日、私はいつものように配達の仕事に就いていたのですが、突然、夕立に遭いました。ひどい土砂降りにあった私はあわてて近くの民家の駐車場に入ったのですが着ている服はずぶ濡れで、持っていた郵便物も濡れてしまっています。とりあえず雨合羽を着て郵便物が濡れないようにしましたが、雨の勢いはさらに増し、とてもバイクで走れるような天候ではありません。

するとそのお宅の70歳くらいの女性が土砂降りの中こちらへ向かってくるではありませんか。「郵便屋さんそんなずぶ濡れでどうしたんよ。風邪ひくからとりあえず家の中入りゃー」そう私に声を掛けて下さり、玄関の中へと招き入れて下さいました。土間が水で濡れてしまうこともいとわず、さらには タオルまで貸していただき「助かった」私は心からそう思いました。実はこの女性の行動は、無財の七施のなかの房舎施という布施にあたります。雨や風をしのぐ場所を提供することです。雨宿りをさせていただいた私は無事にその日の仕事を終えることが出来ました。

さらに、その後もその女性からはたびたび畑で取れた野菜を分けていただいたり、暑い日には冷たいジュースをいただいたりしました。社会人1年目の私にとっては、うれしかったという記憶が今でもあります。

修証義というお経の中に「布施というは貪らざるなり」と言う一文があります。「見返りを求めず誰かの為に尽くしてあげる」という意味です。いただいた物を皆で分ける、混んでいる電車で席を譲る。ありがとうとお礼を言う。これらはすべて布施にあたります。 どうぞみなさん、まずは自分の出来ることからこの布施をはじめてみましょう。

「行ってらっしゃい」の一言

岐阜市 龍雲寺 住職 梅村季弘 師

朝出掛ける時、「行ってらっしゃい」と声を掛けていますか。出掛けに忙しくて、声を掛けられなかった事。日常のことなので、つい、してしまいがちなことのひとつです。しかし、出掛けるときの「行ってらっしゃい」の一言や笑顔はとても重要だとは、思いませんか?

以前に働き盛りの男性が仕事に出掛け、帰宅途中に不慮の事故により、亡くなられた事がありました。その方のお悔やみの席での奥様から出た言葉が、昨夜喧嘩をしてしまい朝「行ってらっしゃい」も言わなかった。と、とても悔みながら涙を流されていました「なぜ、今日なのか。なぜ、昨日、喧嘩をしてしまったのか」奥様の悲痛な叫びでした。

人との別れというのは、今に生きている私たちには、必ず訪れるものです。この今の時の次には、相手との別れが、待っているのかもしれないのです。それは、死ぬ事かもしれないし、ずっと会わなくなる事かもしれません。そう思うと、今一緒にいる人との時を常に大切にすごしたい、と切に思えてくるのです。この今という時は、次の今とは、また異なる今です。出掛ける時、相手の人への気遣いの「行ってらっしゃい」の一言。この言葉を掛けることによっての 「今」そして、次の「今」の相手との関係性・ご縁を大切にし、また自分自身をも、大切にすることに繋がるのではないのでしょうか。そして、相手に「行ってらっしゃい」の一言で、相手のまわりにも良い空間が生まれ、自分自身にも気持ちの良い空間が、生れるのです。

いつまでも続けたい

羽島市 本覚寺 住職 大橋 陵賢 師

花の季節になりました。春は別れと出会いの季節です。先日、祖母が他界しました。母代りに私を育ててくれた祖母です。元気な間にもっと沢山の孝行がしたかった。ですが最近は忙しさに身を任せ祖母の為に時間を作ることが出来ませんでした。しかし旅立った後では私にはしっかりと手を合わせ読経することと、祖母の為に葬儀を滞りなく準備する事しか出来なかったのです。

お釈迦様は「産まれたら死ななければならない」と言う苦しみを解決するために修行に出られ、人は産まれたら死ななければならないことがどうにもならない事であることを悟られるのです。

何時までも元気で生きていくことは出来ません。故人が旅立った後では「孝行」もままならないのです。ですが私は「供養」と言う形で祖母にしてあげられなかった孝行をさせていただく事が出来ました。曾孫と共に身体を洗い、丁寧に清め納棺し、しっかりと手を合わせ読経し、心を込めて見送ることが出来たのです。それは葬儀の各仏事に込められた故人に対するその思いを信じているからです。

いつかは死ななければならない。その現実に向き合い「いま、ここ」を大切にし、元気な間にできなかったその思いを「供養」という形で今後も続けていきたいと強く思う出来事でした。

 

雪裏の梅花

高山市丹生川町 慈雲寺 住職 小林 孝明 老師

一年で一番寒い大寒を迎えようとしています。

一面銀世界となったこの季節、子供の頃は雪や寒さをむしろ歓迎するかの如く、冬の遊びに明け暮れたものでした。しかし、歳を重ねますとそんな思い出も遠い昔、ストーブやコタツのお守をする毎日です。

私の地方では、この季節の雪はサラサラで固まらず、雪合戦をするのも苦労しました。しかし、三月に入り気温が上がりますと、昼間に溶けた雪が夜の寒さで硬く締まってきます。

『かたゆきかんこ しみゆきしんこ』今でもこの言葉を口ずさみながら、雪の上を歩くのが楽しみのひとつです。足が落ち込まないので、どんな場所にでも歩いて行けるからです。どこか違った世界に迷い込んだような錯覚を覚え、心も体も浄化されていくのを感じます。

道元さまの愛した言葉に『雪裏の梅花』があります。お釈迦さまが、菩提樹の下で悟りをひらかれたその一瞬を、道元さまは雪のなかに咲く梅の一枝と表現されました。

厳しい雪の中に咲く梅の花にこそ、三世諸仏に一貫する仏法の真実があるとし、師から弟子へと受け継がれている正しい仏法の姿、魂の継承を讃嘆しておられます。

山や川、草や木々という無生物にも仏性が宿り、大自然の一瞬一瞬が姿を変えながら私たちに生きる喜びを与えてくれるのが『雪裏の梅花』と言えるでしょう。