テレフォン法話

曹洞宗岐阜宗務所では電話による法話の発信を行っています。
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父母恩重経

恵那市 円頂寺 住職 市岡 宜典

家のお位牌には、両親、祖父母、その親以外にも知らない先祖様がいっぱい彫ってありますが、知らない人、今の我々と直接関係ない人まで先祖なのですか?と、たまに聞かれることがあります。どうお答えしたらいいものかと思っておりましたら、先日、大変興味深いお話を聞きました。

「三々五々」というお言葉についてです。

三々五々とは、辞書によりますとあちらに三人こちらに五人といった具合に、人があちらこちらに散りぢりばらばらにに存在する、言い換えれば、数えきれないほど沢山の人がいるということです。つまりパーティーだとか何かしらの催しで集まった大勢の集団が各方面へ散り散りに帰って行く様子を三々五々に帰って行った等と申します。

さて、日常のご法事、法要などで耳にする機会はあまり多くありませんが、親のありがたさを説いたお経で「父母恩重経」というものがございます。曹洞宗でも大切なお経の一つとして挙げられています。

「諸人よ思い知れかし己が身の誕生の日は母苦難の日」とどなたかの歌か存じませんが当に親は大変な思いでもって御子を産み育てるのでございます。

そのお経には様々な親の恩がかかれております。例えば、「親は子供と眠るとき快適な場所に我が子を寝かせ、自分は寝苦しい場所でも厭わない。」また「子を体に授かって十ヶ月の間、ただ一心に安産が出来ること、元気で生まれてきてくれることだけを思う。」等です。その他にもたくさん書かれております。お盆、先祖の命日、お彼岸等はどなたもお墓参りにいかれるでしょうが、冒頭申し上げた三々五々、どうかこころにとめてください。これは、一代で父母の二人の命があなたに受け継がれ、二代だと祖父母でも四人。この命を誰かが守り、誰かが育て、誰かが受け継いでくれてきました。二十五代前までさかのぼると33,554,432人の命とつながりあって、いま此処で生かされているたった一つの貴い命なのです。

このことから、この頭の数字が偶然かもしれませんが三々五々、ものすごく多くという意味です。ふとした機会に親の恩、先祖の恩、少しでも思ってみてください。その話を聞いて以来、「お位牌は、何代か前の先祖が道で拾ってきたワケじゃない、ちゃんと命を繋いできたのですよ。」と申しあてげております。

この、父母恩重経が読んでみたくなった方、気になった方はお近くの菩提寺様にお尋ねになってみてはいかかでしょうか?

ご法事やお墓参りしかお寺へ行くことがないという方はぜひ、和尚さんとお話しする機会に成れば幸いです。

年頭に当たり

曹洞宗岐阜県宗務所所長 岐阜市 本覚寺 住職 時田 泰俊

新年あけましておめでとうございます。平成29年が実りある一年であることを祈念申し上げます。

友人からの年頭の挨拶に「約束とは守るものではなく、実行するものだ」という一文が記されていました。なるほどと思いましたが、実行することの大変さ、更にそれを継続することの困難さは皆様の承知のことと思います。「しっかりと目標を持ち、それに向かって頑張れ」と、自分を鼓舞する意味もあると思いながら読ませてもらいました。

少し前『ハチドリの一滴』という短い物語とであいました。

森が燃えています

森の生き物たちは我先にと逃げて行きました

でもクリキンディーという名のハチドリだけは行ったり来たり

口ばしで水のしずくを一滴ずつ運んでは

炎の上に落としてゆきます

動物たちはそれを見て「そんなことをしていったい何になるんだ」

と笑います

クリキンディーはこう答えました

「私は私に出来ることをしているだけ」

みなさまは何を感じとられたでしょうか?

何が私に出来るのか、考え実行できる一年にしたいと思います。

祖先崇敬の言葉

恵那市 萬光寺 住職 龍田 正宏

子孫は枝葉の如しと申しますが、現在、私たちが存在しているのは、父と母の間で私たちが生まれてきたというまぎれもない事実です。その父と母には、それぞれの父と母がいます。十代もさかのぼれば相当の数の父と母が存在する訳です。その中の1人が欠けても今の私たちは無いわけです。

そのことが、先祖供養につながっているという事を、日々、胸において、私たちは精進していかなくてはと思います。

親の恩

恵那市山岡町 林昌寺 住職 宮地 直樹

ゴブハサミムシという昆虫がいます。このメスは卵を生むと丁寧にそれを守り、さらに外敵からそれを守るために一切そばを離れません。孵化をすると自分の身体を子供たちに食べさせます。食べられている間にも外敵を気にしてその命が絶えるまで動き続けているのです。こうした営みがこの種を守ってきました。こうした営みは人間に置き換えれば大変残酷なようにも思えますが、これに近いような種を守るための営み、これは様々な昆虫、動物、そして我々人間にも当てはめることが出来ます。

『父母恩重経』というお経の中に「究竟憐愍(くきょうれんみん)の恩」というのがございます。これはどんな状況にあっても親は子供のことを思い 憐れむというご恩であります。己、生ある間はこの身に変わらんことを思い、己、死にさいてはこの身を守らんことを願う。亡くなってもなお、あの世から残された私達を常に見守ってくれている。

姥捨て山伝説の中に「自分を担いで山に捨てに行く子供が、帰り道、道に迷わないようにその後ろで枝を折っていく」というシーンがございます。どんな状況にあっても自分よりも子供という親心であります。

そうした親の恩に報いるためにも、私達は親から学んできた学びというものを、後世に伝える役割がこざいます。そしていつかは我が身、残された我々をあの世から見たときに、悲しまない生き方、暮らしぶりをしていくということ。現在、社会が生み出す猟奇的な犯罪があとを絶ちません。こうした時代だからこそ、意識的につながってきた命に対して学ぶ必要があるのです。

御誕生寺

可児市 弘福寺 住職 丹治 真一 老師

先日、福井県越前市にある御誕生寺にお参りに行って参りました。現在は修行道場になり十八名が修行をしているとのことです。

そこでは住職の板橋興宗老師が請書の前にあるパラソル付きのテーブルの周りの椅子に腰をかけておられておりました。挨拶を済ませ、向かいの椅子に腰をかけました。

隣のおじさんと談笑したり、お参りに来た方に「君はどこから来たのか」とか「君は日本人かね」とか話しかけたりしておりました。私はおじさんに「この方は私たちの大本山總持寺の禅師様を勤められておられた方でこのように気軽にお話を出来る人ではありませんでした。」と言うとおじさんはそのような人には見えないし、そんなことはないと思うと失礼なことを面前で言う始末です。しかい、老師は意に介さずひょうひょうとしておりました。又、参詣者に板橋老師は曹洞宗の禅師様でした方ですよ、知っていますかと尋ねると、知らないと、そのほか尋ねた人も全員知らないと答えました。その時も老師はひょうひょうとしておりました。ただ年老いた禅僧のひとりとしか眼に入らないのではないでしょうか。

御誕生寺は俗称「ねこ寺」として有名になり、ねこに会うためにわざわざ地方そして県内各地より年間二万人の人達が尋ねる寺だそうです。

板橋老師の言葉に「風にゆられて鳴る風鈴のように、悲しいときは悲しめばいい」と風鈴は風が吹くとちりんと鳴ります。風が強く吹くとジリンジリンと激しく鳴り、弱く吹くとチリンチリンとかすかに鳴り響く。風にゆられて鳴る風鈴のように、無心に生きたいなあと思うなら、頭をあまり使わず、からだがわかっている生き方をすることです。と申しております。

地位や名声にこだわらず、おごることもなく、何をかたるでなく、ひょうひょうとして生き、自分が何者であるかを知り、自分を生きる。そこには、自然と様々な人が集まる、そして指導者として、人としての坊さんを育て、それが自然と形になり、次の世代へ正しく伝わっていくのではないでしょうか。機会があれば是非、御誕生寺に行くことをお勧めいたします。

悲しみは言葉では慰められない

土岐市 仏徳寺 住職 佐々 宏之

息子さんの突然の死、ご家族の悲しみはいかばかりかと胸を締めつけられるような思いがありました。我が子を突然失った時の親御さんの悲しみは悲しみの中の悲しみでしょう。慰めの言葉もありません。

みなさんご存知のお釈迦様がご存命の時タミーという女性がおりました。とても貧しい生まれだったのですが、長者に嫁いで男の子を生みました。しかし可愛いさかりにこの子は突然死んでしまいます。彼女は、この子をいつまでも抱きかかえて「この子を生き返らせる薬を下さい」と叫びながら街中を走り回りました。

不憫に思ったお釈迦様は、彼女を呼び寄せその子を生き返らせたいなら「ケシの実をもらっておいで、ただしそのケシの実はかつて一度も死人を出したことにない家からのものでなければならない」と言いそなえました。

タミーは、早速飛び出して町の中を一軒一軒訪ねて歩きまわりました。ある家では三日前に母を失いました。別の家では一年前に娘を失いました。結局一粒のケシのみを得ることができなかったのです。

よーく考えればわかる様に過去まで遡れば死者を出したことのない家があるはずもなく、タミーは「子を失ったのは自分だけではない。あの家もこの家も誰かを失った人がいる。」ということに気づき、死はすべての人に免れがたいものであると悟るのです。

お釈迦様は、タミーに子供を失った悲しみはとても言葉では慰められないということです。

我が子を失った悲しみが癒やされるには長い歳月が必要です。その試練を乗り越えてからこそ自分たちも他人の辛さが同感できるのです。そして、手を合わせられるようになります。親も子も共に救われる時なのだと言えるのではないでしょうか。

思いやりの心

土岐市 正福寺 住職 大島 順昭

私たちは常日頃、この世の中のもろもろのこと森羅万象を何気なく見ています。自然現象も人間の生活活動も注意してみることなく漠然のみて暮らしています。

私たちは日常の人間生活をその表面だけでみて暮らしています。しかしその心の内部はどのようなものでしょうか。もっと洞察ち、思いやりの心で見なくては行けないと思います。

その心の中の動き、すなわちその人がどうしてそういう姿勢になってしまうのかまで考えなけれはいけないと思います。心の中の隅々までさっしてやり、他人に対しての思いやりの心を持たなければいけないのでは、ないでしょうか。

人生は浅く生きても、一生は一生ですがm深く生きてみたいのです。

そして、そのためには、人の心を深く見つめながら。人の心も自分の心も、誰からでも学べるものは、あると思います。すべて、わが師の心で精神で前進していきたいと思っています。

平凡な日々の中に

多治見市 普賢寺 住職 水野 誠司

現代に生きる私たちは、何もかもが当たり前にたってしまい「感謝」の気持ちが少なくなっているように思えます。物があふれ、お金を出せばある程度の物は手に入れることができます。

暮らしの中でも、水道の蛇口をひねれば水が出て、夜でもスイッチ一つで明るい場所に居ることが出来ます。普段からそれらが、当たり前のことであって、あまり「ありがとう」と言う感謝の想いは生まれてきません。

人はそれらが無くなってその有り難さに初めて気づくのです。

今、地球は怒っています。様々な国で自然災害が起きています。日本でも、地震・津波・噴火・洪水と言った自然災害が起きています。記憶に新しいのが。「熊本地震」です。たくさんの家屋が倒壊し、大勢の人々が家を失いました。

ある被災者の方々が「地震で家が崩壊し住む所もなく、水や食料を確保することも困難です。当たり前と思っていた暮らしが、地震で一瞬でなくなってしまい、それがどれほどありがたいことだったか初めて気づきました。」とおっしゃっていました。

平凡な日々の中、当たり前と思っていることが実はとてもありがたいことです。色々なものに支えられ、私たちは生かされている事にもっと感謝すべきです。