「達磨の無功徳 」

岐阜市 洞泉寺 住職 岸真量 師

10月5日は達磨大師のご命日で、達磨忌といいます。

インドから中国へ渡った達磨大師は、梁という国の武帝という王様に招待され、現在の南京である「建康」という都で仏教の質問をされます。

「私は仏教を信奉し、立派なお寺や大きな仏像を造り、僧侶を育成している。どれほどの功徳が有るだろうか?」武帝の問いに達磨大師は「無功徳」と言い放ったのでした。

何故でしょうか?それは武帝の求めるような良いことは何も無いということです。

武帝は功徳とか御利益とか自分の名声とかを求めていたわけで、形だけの善行に過ぎない。儲かる、御利益が有るとか「欲」よるものは仏教で説く本当の功徳などでは無いと言われたのです。

何か見返りを求めてしまうと、「私がこんなにしているのにお返しが無い」とか「寄付金をいっぱい出したのに御利益が無い」とか思ってしまいませんか。

これでは自分の欲の為に、自分の満足の為に、自分の都合の良いように御利益を求めているということです。欲を離れて、求めること無く、ただ手放すことによって、執着という煩悩から離れられ、一つでも執着が無くなれば、それが御利益、功徳が有ったというものです。

仏教には三輪空寂という考え方がありますが、あげる人、あげる物、もらう人、この三つ全てに何の執着も無く、清らかに廻っているという状態をいいます。

とても良い物を、惜しげも無くあげる、気にせず堂々ともらう。

現代の世知辛い世の中では、こんな事は難しいでしょうが、まことに大いなる功徳有りです。ただそこに「自分」という欲が入り込むと、「私が人助けする」とか「私は良かれと思ってやっている」となってしまいます。それは貴方にとっての良いことで、善意の押し売りや都合の良い傲慢になって、心を穢してしまいます。達磨大師の「無功徳」は重い言葉ですね。

 

余談ですが梁という国は建国後、約50年で滅びてしまい武帝一代で終わってしまいます。

とんでもない部下の裏切りにあって、籠城した武帝は餓死(88歳)したとも捕らえられて処刑されたともいわれています。

この時代の中国は、乱れに乱れて裏切りや毒殺、一族同士の殺し合い等でまともな国王がいなかったとされ、50年続いた梁はまだマシだったようです。その後の陳もあっという間に滅んでしまいます。隋の煬帝が台頭して、秦の始皇帝以来、再びの中華統一です。