「言葉よりもっと大切なもの」

高山市 雲龍寺 住職 亀山 和浩 師

コロナ禍がおわり、昨年度の訪日外国人観光客の数は過去最高を記録しました。

日本でも有名な観光地である私の町にもそれは沢山の方々がいらっしゃっり、ただただ驚くばかりです。これまでは、お寺の方まで足を運ばれる方は少なかったのですが、最近は遊歩道を散策しながら境内を歩かれる方がとても増えました。

ある日、私が洋司に出かけようとすると、本堂前の階段に、外国の方が数人寝そべって会話をしていました。さすがに本尊様のまえですので、寝そべってというのは如何なものかと思いましたが、急いでいたこともありその場は通り過ぎることにしました。

その後、用事を済ませて帰ってくると、やはり同じように寝そべって談笑しています。せめて仏様の真ん前を避けることは、我々の文化を理解してもらうという点からも大事なことでありますので、ここはしっかり伝えようと思いました。

こういった場合、英語で何と言えば良いものかと色々思慮しているうちに、向こうから年配の女性が歩いてきました。この女性はお墓参りによくいらっしゃる方で、必ず本堂の前で帽子を脱ぎ、しばらく手を合わせて行かれます。この日も同じように本堂の前で帽子を脱ぎ、手を合わせられました。

すると、今まで寝そべっていた外国の方が何かに気付いたように慌ててその場を離れました。その女性の姿を見て、自分たちが居た場所がどれだけ大切な場所であるかに気付いたのでしょう。その一連の様子を目の当たりにしながら、その女性の姿がどれだけ尊いことか私自身も改めて気付いた次第です。

曹洞宗では「不立文字 教外別伝(ふりゅうもんじ きょうげべつでん)」という教えを大切にいたします。言葉や文字ももちろん重要ですが、それ以上に大切なものがあるという教えです。

その時、私が言葉であれこれ伝えようとしても、女性のその尊い姿以上にその真意を伝えることはできなかったでしょう。

仏様の教えに限らず、人を動かすのはやはり自分自身がどうこうどうするかなのではないでしょうか。