「禅の心、その一歩」

岐阜市 医王寺 徒弟 透 晃潤 師

気持ちがどうにも落ち着かない時間が訪れたことがあると思います。

妙にそわそわして、じっとしていられない。

なにかをしている時でも、やけに時間の流れが遅い。

あるいは、その逆も。なんの気力も沸かない鬱屈とした時間も、

忘れたい時間も、訪れたことはあるでしょう。

 

これらは、過去や未来にとらわれていることが原因で起こります。

これを乗り越える事は、一見難しそうですが、

今回、私が話されてきた「禅の心」を、簡単にお裾分けさせていただいて、

なにかの糸口になれば幸いです。

 

一意専心、という言葉がございます。

これは、他のものごとに心を向けず、一つの物事に集中することを意味します。

自分がしたいことをしている時、

眼の前にお出しされた仕事でも真剣に、

料理でも、目一杯味わうなど。

目の前のものごとに、ひたすらに集中する。

このことが、禅の心にも通じてきます。

 

坐禅でも同じように、

只管打坐、という言葉があります。

曹洞宗の開祖、道元禅師が説かれたこれは、

坐禅の本質として重要視されています。

他事を考えることなく、ただ姿勢よく坐る。

修行中に掛けられた言葉ですが、

姿勢が良くなれば、息が整う。

息が整えば、心が調っていく。

心が調えば、曲のついた姿勢も整っていきます。

ですが、それらを目的にして坐禅をするのではなく、

大事なのは、「ただ打ち込むこと」にあります。

ただひとえに、坐ることに集中しよう、ということです。

 

坐禅と同じように、

本を読むことでも、目を瞑ってただ座ることも、

或いは何もしたくない状況でも。

真剣にやっていれば、次第に何かしらの結果がついてきます。

退屈な時間や、忘れたい時間が過ぎ去るといった結果も、です。

これこそ、今を大事にしている、という事でございましょう。

目の前のことにひたすら立ち向かっている時、

過去にも未来にもとらわれない、「今」歩みたい方向を向いている、

禅の心の持ち主となるのではないでしょうか