本巣市 大亀寺 住職 戸田 祥隆 師
先日法事の際、お参りの皆さんが順にお仏壇の前で焼香をされ、手を合わせている様子を見ておりましたら、その中のお子さんが“ふっと”間を作って手を合わせている姿が目に止まりました。
大人の方ですとそれほど気にならないのですが、お子さんだったからでしょうか、「この子は今どんなことを思って手を合わせているのだろう」そんなことを考えながら、その子のお参りする姿を見ておりました。
私たちの生活の中で、手を合わせる機会を思い返してみますと、現代の生活において、日常的に手を合わせる機会は、それほど多くはなくなってきたように感じます。
そして、周りを見渡しても、食事の前後などは、残念ながら少しおざなりになっていると感じるときもしばしばあります。
だからこそ、その子がほんの数秒かもしれませんが、時間をかけて手を合わせる姿が印象的に見えました。
自分が受けている恩を知る、という意味の「知恩」という言葉があります。私たちが手を合わせる意味の一つに、感謝の気持ちを表す、という意味がありますが、どのようなときに感謝の気持ちが芽生えるのか。それは、私たちが周りからの優しさに触れたとき、自分を支えてくれている恩に気づいたときではないでしょうか。
心を込めて手を合わせることができたその子は、きっとその時、恩に触れていたのだろうと思います。
私たちも、日頃から“ふっと”心を込めて手を合わすことができるよう、自分を支えてくれている周りの優しさに気づくことのできる生活をしたいものです。
