関市 永昌寺 住職 鬼頭 周賢 師
先日、お寺の本堂にて檀家さんの一周忌の法事を執り行なわせていただき、その後のお斎(昼食)の席にも一緒につかせていただきました。お斎が始まる前に、亡き人を偲んで盃を捧げる献杯を行いますが、その献杯の挨拶で故人の本家の方がこんな挨拶をされました。
「人は二度死ぬことができるといいます。一度目は現在の肉体の死、二度目は人々から忘れ去られた時です。本日は故人の思い出をたくさんお話しましょう」と挨拶をされました。
一度目の死は、息を引き取った瞬間に訪れる死のことです。二度目は家族や親戚、生前親しくしていた方達、関わりのあった方達の心の中から忘れ去られてしまった時に二度目の死を迎えるということです。
この「人は二度死ぬ」という言葉は大変有名で、映画やアニメでも引用されていますので、皆さん一度は聞いた事があるのではないでしょうか?
この言葉には、「亡き人が私達の心の中でいつまでも生き続けていって欲しい」という今を生きている私達の願いが込められていると同時に、「亡き人をいつまでも忘れないでいることの大切さ」を教えてくれています。残された方々が、亡き人との思い出を語り合い忘れないでいることは、亡き人からいただいたご縁や恩、つながりを忘れないと共に、「人はいつかは必ず死ぬ」という普段は目を背けがちな大切なことを忘れないということになります。
自分の人生に終わりがあるという事を日々意識して生活している人はほとんどいないでしょう。しかし、亡き人を思い出し供養していく過程を通して「人はいつかは必ず死ぬ」という無常の事実を受け止め、今という時を大切に生きていく。それが亡き人への供養につながっていくことだと思います。