揖斐川町 法幢寺 住職 赤田 賢了 師
私には、お寺の仕事と並行して、小学校六年生の担任というもう一つの大切な務めがあります。子どもたちとは、五年生の時から二年間一緒に過ごしてきました。一学年一クラスの小さな学校で、子どもたちは六年間、ずっと同じ仲間と共に成長してきたのです。そのため、お互いの良いところも苦手なところもよく知り、支え合いながら毎日を過ごしています。
しかし、この温かな日常も永遠ではありません。春になれば卒業を迎え、子どもたちは中学校へ進学し、新しいクラスで別々の道を歩み始め、今の絆のまま一つに集まることはできなくなります。仲良しの仲間と毎日顔を合わせられる日々には、はっきりと「終わり」があるのです。そんな子どもたちと向き合う中で、私が改めて心に刻んでいる言葉があります。それが「一期一会」です。
「一期一会」とは、一生に一度だけの出会い、そして今この瞬間は二度と繰り返されないという意味です。もともとは茶道で大切にされてきた言葉ですが、その心は曹洞宗の禅の教えにも深く通じています。
道元禅師さまは、「只管打坐(しかんたざ)」、ただひたすらに坐ることを説かれました。それは、過去や未来にとらわれず、今この瞬間に心を尽くし、目の前の人や出来事と真っすぐ向き合う生き方でもあります。
学校ではいつも「また明日ね」と言って子どもたちと別れます。しかし、いつか訪れる別れを思えば、その子が今日抱いている思い、その表情、その言葉に向き合えるのは、実は今日この時しかありません。同じ子どもであっても、明日にはもう今日とは違う心で、一歩大人になって生きています。だからこそ、卒業までに残された日々の中で目の前にいるその子に深く心を向け、言葉に耳を傾け、その存在そのものを大切にしたいと思います。
これは学校に限ったことではありません。私たちも日頃、「また明日」「また今度」と思いながら毎日を過ごしています。しかし、今日という日も、今という時間も、二度と巡ってくることはありません。いつか環境が変わり、大切な人たちと離れ離れになる時が必ず訪れます。目の前にいる家族、友人、職場の仲間。その一人ひとりと過ごす「今」という時間を、終わりあるかけがえのない宝物として大切に味わう。その心こそが、禅の教えが私たちに示してくれる「一期一会」の生き方ではないでしょうか。
今日も、あなたの目の前にいる大切な人へ、温かなまなざしと優しい心を向けてみませんか。そのひとときが、きっと二度とない「一期一会」の輝きを放つはずです。今、この一呼吸も、目の前の大切なご縁も、二度とは訪れません。だからこそ、今日という一日を丁寧に生きてまいりましょう。
