大垣市 全昌寺 住職 不破 英明 師
四月を迎えました。新たな季節が始まり、何か新しいことをやってみようと心に決めた方もあるでしょう。そんな思いを発すことを発心といいます。ただし発心と言っても何でも良いわけではありません。道元禅師様は「発心正しからざれば万行空しく施す」と説かれ、私たちの行いというものは「正しい発心」が先ず最初になければならないとお示しになります。「正しい発心」とは自分のことだけを考えて心を発すことではなく、自分も含め生きとし生けるもの全ての為に生きてゆこうと願うことです。
眼蔵会といいまして道元禅師さまが記された正法眼蔵を学ぶ研鑽の場に通っていた頃のことです。難しい内容が多く、その日の帰り道、自分にはわからないことばかりだと私は肩を落としながら歩いておりました。夕暮れ時、夕陽に向かって先を歩く先輩の和尚が私に話しかけて下さいました。「私たちは本当に有難いよね。迷うことなくお釈迦さまの御教えにただ従って日々実践して生きてゆけばよいのだから。」そうお聞きした時、何故だか分かりませんが目に涙が滲んできました。今にして思えば、「発心は一度限りではない。悩んでいても歩いているその道は正しいのだから安心してこれからも発心し続けなさい。」そう励まして下さったのだと思うのです。夕陽に向かって歩くこの一歩一歩が一つ一つの発心であるように生きてゆきたい、そう心から思いました。私がすべきことは肩を落とし歩くことではなく、その時その時自分が出来ることを行ってゆくことだと知ったのです。発心というのは「或るひと時の思い」ではありません。「その都度その都度、願いを自らに言い聞かせ歩み続けること」なのです。
この春、皆さんが心に思った目標や願いが他の人々と分かち合える正しい発心であるならば、たとえ迷うことがあっても不安になることなくその道を歩み続けて欲しい、そう思うのです。
