「修行の場である場所」

羽島市 本覚寺 住職 大橋 陵賢 師

「暑さ寒さも彼岸まで」と言われるように今年の猛暑も過ぎ去り過ごしやすい時期になりました。彼岸の意味を知らなくても、お彼岸はお墓参りに行くという行いは誰もが知っていることではないでしょうか。そのお墓、石塔を建てる他に永代供養墓や樹木葬など数多の形態がございます。どれが良いとかではなく、重要なのは「皆が集う場所」であることです。

仏教では旅立った後の世界つまり死後の世界と今生きている世界を分け隔てなく捉えています。そこで旅立った皆様と今生きている私たちが集える場所がお墓であるのです。お仏壇は個人宅にあり親族がいつでもお参りできるわけではありません、ですが墓地のそのほとんどが二十四時間いつでも御参りできるのです。困りごと、人生での分岐点など迷いごとがあったら、どうかお墓の前で手を合わせてみて下さい。右の道なのか左の道なのか必ずその進むべき道筋を示していただけます。自分自身を見つめなおす行いを実践する場所がお墓なのです。お彼岸だからお墓参りに行こうというだけでなく、いつでも生きている私たちも旅立った皆様方も集っていただける場所であるのです。