中津川市 宗泉寺 副住職 大石 光潤 師
私たちが仲良く暮らしていくうえで挨拶をする習慣があるということは、とても素晴らしいことです。
もし、挨拶というものが無かったら、沈黙があるか、用件のみの寂しい会話があるだけで、彩りのない毎日を暮らすことになってしまうでしょう。
「おはようございます」、「こんにちは」、「ありがとう」、「失礼します」、「おやすみなさい」。
お互いに挨拶を交わすことで、喧嘩したばかりの二人でもいつの間にか仲直りしてしまいます。
挨拶という言葉の「挨」という文字には軽く触れること、「拶」という文字には強く触れるということを意味し、
はじめは、禅宗のお坊さんの間で使われた言葉でした。
むかし、禅宗の僧侶が弟子に問答をして悟りの度合いを試すことを挨拶と言いました。
ちょっと声をかけて、弟子の返す答えによって修行の完成度や仏教についての理解度をチェックしていたわけです。それが転じて、今日では一般に親愛の言葉をかけあうことに変わって行きました。
相手の返事で喜怒哀楽がわかるように、挨拶には人の姿勢や感情がとてもよく現れます。曹洞宗を開かれました道元禅師様の教えの中に「愛語よく廻天の力あり」ということばがあります。愛情に満ちた言葉は、相手の心を動かし、状況を好転させる力がある。という意味でありますが、人と人、心と心をつなぐ挨拶もまた愛語になりうるのです。私たちは、言葉に思いや、願い、祈りを込めることができます。
いつでもどこでもだれとでもできる挨拶にも仏教の教えが込められているのです。
それではみなさん、ありがとうございました。