「戦後80年を迎えて」

美濃市 永昌院 住職 高橋 定佑 師

今年で戦後80年を迎える年となります。節目の年に当たり、改めて、戦争あるいはその影響で命を落とされた多くの方に、深く哀悼の誠を奉げます。

宗門ではこれまでにも、当時を振り返り「国家政策や世論の流れに無批判に迎合してしまうことで戦争に加担しまった」として、その過ちを反省し、「二度と同じ過ちを繰り返すことがないよう、行動していかなければならない」と、談話を発表してきました。

今日、戦後生まれの人の割合は国民全体の約9割となり、戦争の記憶をつなぐことが困難になっているといいます。そんな中、永く平和を守り続けるために、私たちができることは何でしょうか。

戦時中、岐阜県内でも市街地を中心に空襲の被害があり、様々な面で各地に大きな影響をもたらしています。私の住む美濃市では、名古屋市の小学校から、疎開児童の受け入れがあり、400名を超える児童が市内の各寺院に振り分けられ、1年数か月を過ごしました。

遠く家族と離れ、毎日を過ごした彼らが、赤く染まった名古屋の夜空をどんな気持ちで見ていたのか。その不安や寂しさを想像すると胸が苦しくなります。実際に疎開された方の話からは、当時の衛生状態や食べ物が十分でなかったこと、家族に会えない寂しさなど、よりリアルな生活を想像することができます。一方で、厳しい暮らしの中でも豊かな自然や、地域の人々との交流を通して、人の温かさにも触れられた時間であったと聞きます。

戦争に関わる話は大変厳しいものが多いですが、そこには今を生きる私たちと同じように、何気ない日常の小さな幸せや喜びがありました。それは遠い昔のことではなく、身近なものです。戦争の凄惨さ、その時代を生きる人々の暮らし、それを知らずして平和の尊さを理解することはできません。

道元禅師は次のような言葉を示されています。

「自分の見方や考え方、知っていることだけがすべてではない。そのことを忘れてはならない」

人によって、それぞれ物差しは違い、知らないことも多くあります。永く平和を守り続けるために、今、私たちができることは、そのことを心に留め、それぞれが我が事として、向き合うこと。そして、過去の記憶を決して風化させることのないよう、しっかりと伝えていくことであると思います。