テレフォン法話

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日々是好日

恵那市 玉泉寺住職 龍田無名 師

永い人生において、今まで良い事もあれば、悪い事もある。それは誰もが経験してきた事かと思います。人は自分の都合の良い様に物事が運んだ時は、気分的にすごくいい感じを得るかと思いますが、その反面、悪い事が起こった時、その事実を避けて通りたく思ってしまいます。例えば今日お出かけという時に、朝起きて大雨が降っていたら、気分的にすごく残念な気持ちになるかと思います。それと同様、せっかく出かけるのを楽しみにしていた家族や友達も皆、気分的に重くなる様な気持に包まれる事かと思います。しかしそれはいたしかたありません。逆に天気が晴れた時は、すごくいい気分になる事かと思います。ただ、天気は私達の都合よく晴れたりはいたしません。
ただ天気だけでなくどんな状況に置かれても、良い時が訪れた時、もしくは悪い時が訪れたにしろ、私という人間にとって、その日、その時というのは一度しかありません。『日々是好日』というのは、雨であれ晴れであれ現実を受け入れれば、どんな日でも毎日は、新鮮で最高に良い日だという意味です。
良い日も悪い日もその時その時を大いに味わって過ごせば、その時というのは又その日というのは、かけがえのない日になるという事です。
私達の今生きているこの尊い時間を大切にお過ごししていただき、『日々是好日』という言葉をふと思い浮かべていただければ、どんな状況であれ、その日というのは、大変かけがえのない日でございます。『日々是好日』どんな日でも良い日だといえますか?

調身調息して冬への準備

中津川市 善昌寺副住職 井口昭典 師

10月に入り、心地よい風が秋の気配を感じさせます。
今年の夏は異常気象、更に気温が高い日が続いたため、まだまだ夏の疲れが残っている方もいるのではないでしょうか。
この季節は、疲れている体と心を調えて、来たるべく冬の準備をする絶好の機会だと思います。皆さんそれぞれ体を動かしたり、色々な方法で体調を維持されていると思いますが、その中に是非、静かに坐るという時間を取り入れて下さることを、お勧めいたします。
それではまず正座をして下さい。もちろんイスでも構いません。最初に時計の振子のように体を左右に動かし、徐々に小さくしていき真ん中で止まります。深呼吸をした後、ゆっくり息を調えます。背筋を伸ばし、腹式呼吸。手はひざの上におき、あごをひきます。目線を斜め下にして、心静かに5分から10分くらい坐ります。時間がきたら、左右に体を揺らしてほぐし終わりです。
ただ静かに坐ってみる。それだけですが、普段の生活では気がつかなかった、新しい何かが見えるかもしれません。
皆さん、毎日の生活の中に、ゆったりと坐る時間を加えてみませんか。もしかしたら、今まで知らなかった楽しみや、幸せな時間が待っているかも知れません。

 

 

 

 

 

 

 

半月板

福昌寺 住職 坂本宗陽師

昨年の秋に、小学校の運動会を見に行きました。確かこれで4回目になると思います。リレーを見るのが楽しみですが、他にも、本当は騎馬戦とか、棒倒しとか個人的には見たいなあと思いますが、今迄の経験からない事は知っていました。
ところが今回は綱引きもありませんでした。危ないし怪我し易いという理由でなくなったのでしょうか。なんだか淋しい気がしました。体がぶつかり合ったり、思い切り力を振りしぼったりした中で、痛かったことや友達と連帯感を感じたりしたことなどは、私にとっては大切な思い出だからそう感じるのかもしれません。
また、先日小学校の授業参観で、何気なく見ていたら、先生の位置が低いことに気がつきました。教壇がないのでした。先生が子供に上から教えることが良くないという見識によってこうなったのだとしたら、なんだか肌寒い気がします。年上、目上の人、先輩を敬うことは大切ではないのだろうか?と疑問に思いました。
話は替わりますが、檀家の総代さんが最近膝の手術を受けられました。膝の関節の半月板が磨り減ってくるのが原因で膝の痛みが徐々に大きくなって、人工の関節を膝に入れる大変な手術です。ですが、私が知っているだけでも、この手術を受けられたのは4人目です。幸い手術後は順調で、今はリハビリに頑張っておられます。
私は、私たちの心も喩えてみればこの膝の半月板と同じではないかと思います。年を重ねて老いてくると心が弱って磨り減ってきます。何気ない言葉や、叱られる言葉、強い言葉に、以前だったらじっと受けとめたり、「ふん、何を言うか」と笑い飛ばしたり、跳ね返す力があったのに、同じ言葉でも傷ついたり辛くなったりするのです。
お年寄りは頑固になる、とか言いますが、仏説父母恩重経というお経の中にも「父母、年高けて、気老い、力衰えぬれば、倚るところの者は唯だ子のみ、頼むところの者は唯だ婦のみ」とありますように決して強くはありません。
私たちは、やはり人の痛みがわかり、お年寄りを敬い、いたわることが出来る人間になれるよう心がけたいものです。

先人の声に耳を傾けましょう

立蔵寺 伊藤 智純

今回の法話の当番をいただきまして、30年ほど前のテレホン法話集というものが書棚にありましたので、さて諸先輩方はどんなお話をされたのかと興味をひかれて読み進めておりました。3・40年前どんな時代だったんでしょう。どんなことがあったのかよく覚えていませんが、そこには海外の戦争に怒り、未成年による殺人を嘆き、自分中心、利己的な事件を諌めるそんな文章が並んでいます。

 今、私がお話しようとしてもやはりテロが続く不安定な世界、未成年による重大犯罪、インターネットを通じてしばしば話題になる身勝手でわがままな人達、そんなことを話題にすることになりそうです。もっともわずか30年ではそんなに変わらないのも当然かもしれません。では800年前3000年前ではどうだったでしょう。当時の人々にとっても争いの絶えない世の中、自分大事で、他人を木津つけることを顧みない人々。そういったことに心を痛めた人達がいたに違いないと思うのです。古今東西を問わず、人はそうした社会の有り様を通じて、いかに生きるべきか、生とは何か、死とは何か、考え続けてきたのだと思います。
 少年時代の道元禅師やブッダとなられる前の青年シッダールタ王子、私たちと同様に悩み考えそしてその答えをお示しくださいました。先人の声に耳を傾けましょう。本を読みましょう。話を聞きましょう。生きるヒントがきっとあると思います。
 最後に最近、心に残った言葉を紹介いたします。長い間、私の人生はまだこれからだと思っていた。やりかけの仕事、返すべき借金、果たすべき義務。それらを片付けてからが本当の人生だ。ある日気づきました。そうじゃない。そんな邪魔者こそが私の人生そのものなんだ。そして私は知りました。幸せへの道などない。道こそが幸せなのだと。幸せは旅の過程であって、目的地ではないのです。アルフレッドスーザンという、神父さんの詩だそうです。

お彼岸によせて

広福寺 住職 紀藤昌行師

猛暑の続いた夏も終わり、やがて訪れるお彼岸が過ぎれば「暑さ寒さも彼岸まで」のことばのように過ごしやすくなることと思います。
お盆に長期休暇を過ごされた方も多いことでしょう。そして今月はまた5連休が待ち構えています。日本には、土日の他に年間15日の祝日が法律で定められています。既に去年の法改正で8月11日の「山の日」が制定されており来年からは16日になります。
国民の祝日に関する法律の第1条に、「自由と平和を求めてやまない日本国民は、美しい風習を育てつつ、よりよき社会、より豊かな生活を築き上げるために、ここに国民こぞって祝い、感謝し、又は記念する日を定め、これを「国民の休日」と名づける。」とその意義が述べられています。さらに、第2条には、各祝日の日にちと意味が載せられています。
そこで、秋のお彼岸のお中日「秋分の日」はというと、「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ」と定義されています。今、生かさせていただいている私たち一人一人に対し、10代さかのぼれば、1,024人のご先祖さまが、さらに10代さかのぼれば、 1,048,576人のご先祖様がおられます。長い歴史の中で、多くのご先祖さまの願いと見守りをうけて、私たちはこの世に暮らさせていただけているのだと思います。
誰一人としてご先祖さま無くして今の私はありません。この祝日の意義を今一度思い起こし、折角の休日のどこか一日、それぞれの祖先を偲び、感謝の思いで墓前に手を合わせ、ご先祖様との語らいをしてみてはいかがでしょうか。

成功への道

福田寺 副住職 橋本崇典

成功する為には、自分がどのようになれば成功者と言えるのでしょう。長寿であることでしょうか。病気にならないことなのでしょうか。あるいは、いつまででも若くいられることでしょうか。それとも、自分の思うように何でも手に入れることでしょうか。これが成功と言えばそうなのかもしれません。しかし、これらの事をよく見ると、自分のことばかりで相手の存在がありません。長寿であるためには、その人の心がけもあったでしょうが、周りの人の支えもあったはずです。私たちは一人では生きていけませんから、成功を考える場合、相手のことを念頭に置いて考えることが大事ではないかと思います。はじめに自分のことを考えれば、自分を活かしきって生きているということが一つの成功のあり方と考えられます。そこに相手のことを考えあわせれば、自分を活かしきる生き方が自分の幸せに通じ、それがまた、相手の幸せにも通じていく、そんな生き方が成功の道を歩いて行くことではないかと思います。自分を活かすことが、相手の幸せに通じていく為には、まず正しい考え方を学んでいくことが必要です。考えには力があるとよく言われることですが、自分が今何を考えるかで、幸、不幸が分かれていきます。自分が不幸であると思ったとき、今の自分の考え方が誤っていると気付き、自らを顧みることが大事です。そして大概の人は、自分のことを考えやすいので、周りの人のことを先に考えたり、相手のことを理解することを優先する、そんな生き方の癖をつけていくことも大事です。  を無くし、感謝できる自分であれば、成功への道を歩んで行くことになるのです。

御参り

関市 延寿寺 住職 早川明宏

私たちは、父母祖先という縦の人間関係と社会連帯という横の人間関係を持っており、この縦と横の二つの線の交叉した一点にたっているのが私どもなのです。日本では従来、縦の人間関係を重んずる社会構造でした。それが終戦後“封建的だ”と、批判されるようになり、それに伴って民族の伝承や先祖代々の家系の中に培われてきた美しい伝統と活力が失われてきました。しかし、時の動きに左右されず、ここで忘れてならぬことは、先祖あっての私だという事実の確認です。草花にたとえるならば、私どもは花であり、祖先は根に相当します。切り花はどんなに美しくても、根がないのですぐ枯れてしまします。美しい生命の花をいつまでもさかせておくには、根を大事にしなくてはなりません。根を大切にすること、それが孝順心であり、供養のまごころであります。お墓参りをし、法要に参列して、縦横二つの軸に生かされている自分をみつめ、真に望ましい人生を生きる活力を養いたいものです。

分け隔てなく

関市 正林寺住職 荒田 則翁

今年もお盆の季節がやって参りました。皆様方それぞれにお盆を迎えられることと思います。飯田蛇笏に「信心の母にしたがふ盆会かな」という句がありますが、お子さん、お孫さんと一緒にお盆を迎える準備をされることをお勧めします。思い返してみますと、わたくしも子供の頃、母に連れられて墓掃除に行きました。そうしてご先祖様の話や親戚の話を教えてもらった覚えがあります。田舎では墓地は山の中にあったり、無縁の墓が竹藪に隠れていたりしました。それらは我が家とは無縁の墓でしたが、母は「みんなの仏様だよ」と藪を切り開き掃除をして、お花を供えました。それらを手伝ううちに、自分のお墓を掃除すればよいだけではないことを、母は教えてくれました。

お盆は逆さずりされた状態という、おどろおどろしいいわれによります。それは、お釈迦様の十大弟子の一人、目連尊者の母が、餓鬼道に落ちて苦しんでいました。目連尊者の母はわが子だけを大切にして、他人には強欲でとても意地悪な人であったそうです。そのため地獄に落ちて苦しんでいたのです。そこで目連尊者はお釈迦様に相談すると、修行僧に衣服や食事を分け隔てなく供養しなさい。そうすればお母さんを救い出せるだろうと言われました。私どもはともすると自分だけ、自分の家族だけ、岐阜県だけ、日本だけと思いがちです。そうではなく、分け隔てなく供養する心をお盆を通して家族で学びたいものです。それには家族そろってお盆を迎える準備をしてはいかがでしょう。

感謝する心

関市 永昌寺住職 鬼頭賢定

私たちが生きていくのに一番大切な物は沢山色々とありますが、その中でお水についてお話をします。私たちは、常に水を大切にし、感謝して毎日を過ごしているでしょうか。毎日、水を無駄に使っているのではないでしょうか。

昔、禅寺に宜牧というお小僧さんがいました。或る夕方お師匠さんが庭にタライを出して湯と水を汲んでお風呂の代わりに体を洗おうとしていました。少し熱かったので「おい宜牧そこの桶の水を持ってきておくれ」と言いました。宜牧は「はい」と返事をして桶を手に取り、中を見ると少し水が残っていたので、何気なく庭に捨ててしまいました。すると行水をしていたお師匠さんが大きな雷のような声で「コラッ宜牧、今、水を捨てたな、捨てた水を拾え」と、どなられ、びっくりした宜牧は、どうやっても拾うことが出来ません。これはお師匠様が「捨てた水を拾え」と言われたのは、水と一緒に捨てたお前の心を拾えということです。何の気なしに物を捨てるお前の心をもう一度じっくりと振り返り、すべての物の命を大切にする仏様の心を常に忘れないように自分のものとして修行せよ、と言う有難い教えなのです。

この宜牧少年が、この教えを一生のいましめとして、感謝の心を忘れず修行し名前も水に関係をもつ滴水と名付けられ立派な禅寺様となられ多くの教えを残されたのです。

私たちも、多くの物に支えられ生かされていることを忘れずに感謝の日々を過ごしましょう。

親と兄弟

関市 寿福寺 住職 大石 啓二

私が小学校5年生・昭和34年11月2日のことです。授業中に先生から家に帰りなさいと言われ、家に帰ると、母が布団に包まれている姿を見た。母の死であった。母は今で言う咽頭がんで心臓も弱く一年のうち半年は病院、週一日は病院という生活でした。が、優しい人でした。

私の生れた家は、兄が4人、姉が2人という7人兄弟。私はその一番下でした。父は僧侶で、また中学校の教師を勤めており、酒が大好きな人でした。

母の通夜や葬儀の時、近所の人や檀家の方々から可哀そうに可哀そうにと言われるのが嫌でたまりませんでした。この悲しみは本人でなければ分からないと思ったので、私はたやすく他人の悲しみに同情はしません。言い過ぎかもしれませんが・・・。また、母の死が夢であってほしいと思い、自分の頬を叩き強くつねったりもしましたが夢ではなかった。現実なのだと実感しました。

母の死から5年後、昭和39年オリンピックの年に父が私の目の前で突然倒れ、そのまま帰らぬ人となりました。父の死のその場で私は7歳上の兄に、「僕は坊さんになりたい」と言ってしまったのです。なんでそんなことを口に出したのか覚えてはいません。が、兄は快く「よし、わかった」と言って下さり、お金の事その他いろんな面で迷惑を掛けました。

時が経ち一番上の兄、三番目の兄と亡くなりましたが、私を大学まで行かせてくれた兄の死は、父母の死とは違った思いがありました。兄には亡くなるまで色々な苦しい事、結婚の事、その他色んなことを相談してきましたが、相談する相手が突然亡くなり漠然となりました。親代わりや師匠になって頂いたこと有難く言葉では言い尽くせません。また姉2人と仲が良く、特に迷惑を掛けることもなく暮らしていることに感謝しています。

人間関係の難しい時代です。が、父母兄弟らの死の事を思い起こせば「無事であることの幸せ」と思う今日この頃です。