飛騨市古川町 慈眼寺 住職 原田 好崇 師
一期一会という言葉がありますが、これは茶道に由来する日本のことわざです。茶会にのぞむ際には、その機会は二度と繰り返されることのない、一生に一度の出会いであるということを心得て互いに誠意を尽くす心構えを意味し、茶会に限らず「あなたとこうして出会っているこの時間は、二度と巡っては来ないたった一度きりのものです。だから、この一瞬を大切に思い、今出来る最高のおもてなしをしましょう」という含意で用いられ、さらに「これからも何度でも会うことはあるだろうが、もしかしたら二度とは会えないかもしれないと いう覚悟で人には接しなさい」と戒める言葉です。一般的には一生に一度の出会いかもしれないのでその出会いを大切にしなければならないという意味で用いられることが多いのではないでしょうか。一生の間には沢山の出会いがあります。その出会いには出会えてよかったと思うものや出会わなければ良かったと思うもの等様々な出会いがあります。ですが無駄な出会いはありません。もし、いやな思いをして出会わなければ良かったなと思うことがあったとしても、自分はいやな思いをしたから他人にはしないようにしようと思い勉強することが出来たとしたら、それは決して無駄な出会いであった訳ではないのです。
生きていくうえで必ず出会いはあります。これからの出会い、勉強出来てよかったと思われるのではなく、出会えてよかったと思ってもらえるような出会いなるように心がけたいですね。