恵那市 天長寺 住職 森 知孝
曹洞宗岐阜宗務所では電話による法話の発信を行っています。
固定電話番号 0575-46-7881
恵那市 天長寺 住職 森 知孝
恵那市山岡町 林昌寺 住職 宮地 直樹
ゴブハサミムシという昆虫がいます。このメスは卵を生むと丁寧にそれを守り、さらに外敵からそれを守るために一切そばを離れません。孵化をすると自分の身体を子供たちに食べさせます。食べられている間にも外敵を気にしてその命が絶えるまで動き続けているのです。こうした営みがこの種を守ってきました。こうした営みは人間に置き換えれば大変残酷なようにも思えますが、これに近いような種を守るための営み、これは様々な昆虫、動物、そして我々人間にも当てはめることが出来ます。
『父母恩重経』というお経の中に「究竟憐愍(くきょうれんみん)の恩」というのがございます。これはどんな状況にあっても親は子供のことを思い 憐れむというご恩であります。己、生ある間はこの身に変わらんことを思い、己、死にさいてはこの身を守らんことを願う。亡くなってもなお、あの世から残された私達を常に見守ってくれている。
姥捨て山伝説の中に「自分を担いで山に捨てに行く子供が、帰り道、道に迷わないようにその後ろで枝を折っていく」というシーンがございます。どんな状況にあっても自分よりも子供という親心であります。
そうした親の恩に報いるためにも、私達は親から学んできた学びというものを、後世に伝える役割がこざいます。そしていつかは我が身、残された我々をあの世から見たときに、悲しまない生き方、暮らしぶりをしていくということ。現在、社会が生み出す猟奇的な犯罪があとを絶ちません。こうした時代だからこそ、意識的につながってきた命に対して学ぶ必要があるのです。
可児市 弘福寺 住職 丹治 真一 老師
先日、福井県越前市にある御誕生寺にお参りに行って参りました。現在は修行道場になり十八名が修行をしているとのことです。
そこでは住職の板橋興宗老師が請書の前にあるパラソル付きのテーブルの周りの椅子に腰をかけておられておりました。挨拶を済ませ、向かいの椅子に腰をかけました。
隣のおじさんと談笑したり、お参りに来た方に「君はどこから来たのか」とか「君は日本人かね」とか話しかけたりしておりました。私はおじさんに「この方は私たちの大本山總持寺の禅師様を勤められておられた方でこのように気軽にお話を出来る人ではありませんでした。」と言うとおじさんはそのような人には見えないし、そんなことはないと思うと失礼なことを面前で言う始末です。しかい、老師は意に介さずひょうひょうとしておりました。又、参詣者に板橋老師は曹洞宗の禅師様でした方ですよ、知っていますかと尋ねると、知らないと、そのほか尋ねた人も全員知らないと答えました。その時も老師はひょうひょうとしておりました。ただ年老いた禅僧のひとりとしか眼に入らないのではないでしょうか。
御誕生寺は俗称「ねこ寺」として有名になり、ねこに会うためにわざわざ地方そして県内各地より年間二万人の人達が尋ねる寺だそうです。
板橋老師の言葉に「風にゆられて鳴る風鈴のように、悲しいときは悲しめばいい」と風鈴は風が吹くとちりんと鳴ります。風が強く吹くとジリンジリンと激しく鳴り、弱く吹くとチリンチリンとかすかに鳴り響く。風にゆられて鳴る風鈴のように、無心に生きたいなあと思うなら、頭をあまり使わず、からだがわかっている生き方をすることです。と申しております。
地位や名声にこだわらず、おごることもなく、何をかたるでなく、ひょうひょうとして生き、自分が何者であるかを知り、自分を生きる。そこには、自然と様々な人が集まる、そして指導者として、人としての坊さんを育て、それが自然と形になり、次の世代へ正しく伝わっていくのではないでしょうか。機会があれば是非、御誕生寺に行くことをお勧めいたします。
土岐市 仏徳寺 住職 佐々 宏之
息子さんの突然の死、ご家族の悲しみはいかばかりかと胸を締めつけられるような思いがありました。我が子を突然失った時の親御さんの悲しみは悲しみの中の悲しみでしょう。慰めの言葉もありません。
みなさんご存知のお釈迦様がご存命の時タミーという女性がおりました。とても貧しい生まれだったのですが、長者に嫁いで男の子を生みました。しかし可愛いさかりにこの子は突然死んでしまいます。彼女は、この子をいつまでも抱きかかえて「この子を生き返らせる薬を下さい」と叫びながら街中を走り回りました。
不憫に思ったお釈迦様は、彼女を呼び寄せその子を生き返らせたいなら「ケシの実をもらっておいで、ただしそのケシの実はかつて一度も死人を出したことにない家からのものでなければならない」と言いそなえました。
タミーは、早速飛び出して町の中を一軒一軒訪ねて歩きまわりました。ある家では三日前に母を失いました。別の家では一年前に娘を失いました。結局一粒のケシのみを得ることができなかったのです。
よーく考えればわかる様に過去まで遡れば死者を出したことのない家があるはずもなく、タミーは「子を失ったのは自分だけではない。あの家もこの家も誰かを失った人がいる。」ということに気づき、死はすべての人に免れがたいものであると悟るのです。
お釈迦様は、タミーに子供を失った悲しみはとても言葉では慰められないということです。
我が子を失った悲しみが癒やされるには長い歳月が必要です。その試練を乗り越えてからこそ自分たちも他人の辛さが同感できるのです。そして、手を合わせられるようになります。親も子も共に救われる時なのだと言えるのではないでしょうか。
土岐市 正福寺 住職 大島 順昭
私たちは常日頃、この世の中のもろもろのこと森羅万象を何気なく見ています。自然現象も人間の生活活動も注意してみることなく漠然のみて暮らしています。
私たちは日常の人間生活をその表面だけでみて暮らしています。しかしその心の内部はどのようなものでしょうか。もっと洞察ち、思いやりの心で見なくては行けないと思います。
その心の中の動き、すなわちその人がどうしてそういう姿勢になってしまうのかまで考えなけれはいけないと思います。心の中の隅々までさっしてやり、他人に対しての思いやりの心を持たなければいけないのでは、ないでしょうか。
人生は浅く生きても、一生は一生ですがm深く生きてみたいのです。
そして、そのためには、人の心を深く見つめながら。人の心も自分の心も、誰からでも学べるものは、あると思います。すべて、わが師の心で精神で前進していきたいと思っています。
多治見市 普賢寺 住職 水野 誠司
現代に生きる私たちは、何もかもが当たり前にたってしまい「感謝」の気持ちが少なくなっているように思えます。物があふれ、お金を出せばある程度の物は手に入れることができます。
暮らしの中でも、水道の蛇口をひねれば水が出て、夜でもスイッチ一つで明るい場所に居ることが出来ます。普段からそれらが、当たり前のことであって、あまり「ありがとう」と言う感謝の想いは生まれてきません。
人はそれらが無くなってその有り難さに初めて気づくのです。
今、地球は怒っています。様々な国で自然災害が起きています。日本でも、地震・津波・噴火・洪水と言った自然災害が起きています。記憶に新しいのが。「熊本地震」です。たくさんの家屋が倒壊し、大勢の人々が家を失いました。
ある被災者の方々が「地震で家が崩壊し住む所もなく、水や食料を確保することも困難です。当たり前と思っていた暮らしが、地震で一瞬でなくなってしまい、それがどれほどありがたいことだったか初めて気づきました。」とおっしゃっていました。
平凡な日々の中、当たり前と思っていることが実はとてもありがたいことです。色々なものに支えられ、私たちは生かされている事にもっと感謝すべきです。
美濃市 善応寺 住職 雲山 晃成 師
私たち曹洞宗のお坊さんが坐禅をするとき、釈迦如来坐像の姿を参考にして坐ります。多くの寺院の須弥壇上中央にいらっしゃるお釈迦様を見ていただくと想像がつくかと思います。足を組んで結跏趺坐をして下っ腹のところに両手を重ねて組んでいます。このとき両親指をくっ付ける様にします。この手の組み方を法界定印と言います。この形を作ることには意味があるのですが、この印は宇宙を形取ったものであると言われています。
宇宙の形なんて我々は見たこともないし、形なんて宇宙から飛び出さない限り見ることはできません。これは見るとか見えないとかという問題ではなく、宇宙の中心に自分はいるのだということです。
この宇宙を構成している自然現象、身近なものには山や川、空気、家や人いろんなもの同士がこの宇宙には存在していて、別々なものではありますが、お互いにこの宇宙を共有しながら存在しています。そしてこの存在はとても尊いものなのです。
釈迦如来が坐禅をしているとき、いつもこの尊い存在を想い、宇宙の一切を守りたいという本願の心がこの法界定印という形を作り、お釈迦様の苦行の姿となっているのです。
法界定印をしているお釈迦様は、私たち人間だけを救いたいと考えているだけではなく、宇宙を構成している一切のものが正常であることを祈り続けておられるのです。この釈尊の博愛の心、この心を私たちは法界定印の印相から教えられているのです。
関市 下有知 龍泰寺 住職 宮本 洪純 老師
ここ数年来お寺の裏山に猿の群が十匹程住みつくようになり、作った野菜等を持っていってしまうので地元の農家が困っていた。そこで畑に電柵を作ることにした。しかし猿は屋根から柵を飛び越え入ってくる。観察していると数匹が群をなし、一匹は屋根の上で見張り役、子猿が作物をとり柵の隙間から外に出し、それを親猿が持ち去っていく。役割分担が猿の中でも決まっているようだ。電柵を付けてからは前よりも来なくなったが、それでも被害は多かった。それが今年に入ってからは一匹も来なくなった。近隣の農家に聞いてみると、一匹の子猿が柵に挟まれて死んでしまったようである。このことを機会に来なくなったということである。来なくなれば来なくなったで他の猿は今頃生きているだろうかと気になった。猿が懸命に生きている姿が思い浮かんだ。
最近は生きるということ、生命ということがおろそかにされているような気がする。少年の自殺や親が我が子を殺してしまうようなことが毎日のように報じられている。自分の生命の分身である子殺しは何とも悲しい気持ちになる。自分が生きているということは、人間同士、自然界更には周りの全ての生命に依って生かされているという観念からは程遠い感じがする。自分の生命と他の生命には区切りはない。自分の生命と他の生命とはつながっている。修証義にも「自他は時に随うて無窮なり」とある。裏山の猿の生き方を見ることで、学んだ経験である。
美濃市 安毛 永昌院 住職 高橋 定申 老師
暑かった夏もようやく峠を越えて 道端のあちらこちらに真っ赤なヒガンバナが咲き始める季節となりました。ヒガンバナは曼珠沙華とも言い法華経にも出てきますが サンスクリット語で天上に咲く赤い花、「一目見れば悪行を離れられる天の花」と言われて この花を見ると自然と悪行をしたくなくなるという教えがある、まさに仏様の花です。このような花の咲く彼岸は、泣いたり笑ったり苦しんだり愚痴ったりするこの世「此の岸」に対して 欲や妄想から離れて落ち着いた心でいつも感謝し平和な境地に至る世界「彼の岸」です。
毎月月経にお伺いする、あるお檀家の95歳のおばあ様は私がお伺いすると必ず「今日はありがとうございます。おじいさんもきっと喜んでみえます。」と手を合わせて「お嫁さんが良くしてくれて本当に幸せです。」といつも感謝の言葉でお話しされます。こんな心もちが彼岸の教えではないでしょうか。
お仏壇やお墓をきれいにし お花やお線香をたててご先祖様に感謝とお礼のお参りをすることで俗世間にいる私たちも迷いや悩みのない世界を感じることができるのです。しかし日ごろは忙しく雑事に追われ忘れがち。「今日彼岸 菩提の種を蒔く日かな」菩提とは悟りを意味します。さあ、お彼岸 今日あることを感謝してご先祖様にお参りしましょう。
関市 西神野 常栄寺 住職 成田 英道 老師
先般、南米ウルグアイの元大統領であったホセ・ムヒカ氏が来日した。テレビ・新聞等で取り上げられ、その存在を知った。同氏は二〇一二年の国際会議でのスピーチが注目され、日本では絵本となって何万部の売れた由である。ムヒカ氏の言動をみると、現在こんな政治家が存在するのかと目を疑った。自己の目先の利益しか考えない政治の世界にあって、人類の根本問題に視点を置いて発言していることは、誠に稀有な存在と思われる。
ムヒカ氏は、若い頃、ゲリラ活動に参加し、軍事政権に捕らえられ、十三年間、過酷な牢獄に入れられ、その体験から人生観・政治観が形成された模様である。ムヒカ氏のスピーチは、この体験から発せられた全世界の人類に対する警告である。
ムヒカ氏の言に依れば、現代は消費の時代であり、この消費によって生産も経済もコントロールされ、ひいては人間の自由も、自主性も、幸福もコントロールされていると見るのである。この消費経済の元は、残酷な競争に基づく市場経済であり、市場経済の元は、個人のエゴイズムに基づく資本主義であると見るのである。この点は、仏教においても、迷いの根元はエゴと見るのであり、視点を同じくする。
ムヒカ氏は、消費経済がこのまま進めば貧富の差が拡大するとし、ドイツと同水準の生活をインドの全国民がするならば地球の資源は忽ち枯渇するであろうと云う。この貧富の差の拡大を止めるのが政治の役目であると云う。
ムヒカ氏はアナーキスト(無政府主義者)であり、国家をなくすことは出来ないが信用出来ぬと云い、国家はなくてもよいと断言する。人類の歴史上、国家が存在するのは十パーセントに過ぎないと云う。ムヒカ氏は、国家権力の横暴悪行を身を以て知っているからであろう。人類の戦争の歴史を見れば、如何に国家が戦争を起こし、莫大な人間を殺しているか明白である。日本では昔、鎮護国家と云われ、仏教がその役割を果たすべきと言われたが、仏の世界は国家を超えたもので、国家の範疇に入るものではない。その点、ムヒカ氏無政府主義と視点を同じくするのもである。
ムヒカ氏は又、政治・宗教における狂信性を伴わない。戦前n日本は狂的な国家主義者によって太平洋戦争に突入し、滅亡に導いた。道元禅師は、迷信・邪信・狂信ではなく、正信を得よと云う。エーリッヒ・フロムは正気の社会を云う。
ムヒカ氏は、公私共に自分の政治信念を実践し実行した。宗教もその在り場所は実践にある。
現代の世界は、昔と一寸も変わらず国家エゴに基づいて自国の利益のみを追求しているが、このまま行けば遠からず人類は滅亡に到るのみで、競争している暇はなく、協力して滅亡を防ぐ、道を探さなければならないとするのがムヒカ氏の警告である。