テレフォン法話

曹洞宗岐阜宗務所では電話による法話の発信を行っています。
通話料無料フリーダイヤル 0120−112−652

「同事の行い」

美濃市 善應寺 住職 雲山晃成 師

皆さんは、修証義と言うお経は知って見えるかと思います。

そのお経の中に四つの大切な行いが、記されています。

今回はその四つの行いの一つ同事について、お話をさせて頂きます。

同事とは、同じと言う字と、事と言う字です。事を同じくすると書きます。

たとえば、水を器に入れるとします。水はその器に隙間を作らず、ぴったりとあって器に入ります。どんな形の器にもぴったりと自ら形を変えて入ります。しかし、水自体は形は変われど、何も変わりません、しっかりと水であり続けます。

人間の如来は、人間に同ぜるが如しと道元禅師様が言われているように、仏様が人を導く時は、仏様の姿ではなく人の姿になって導かれるのです。

同事とは、人に寄り添い周りの人達と融和協調し、時には助け合いながら行う菩薩経です。どんな人にも水のように柔軟に、ぴったりと心を寄せて行うことが出来たならば、仏様に私が変わって行ったと同じことなのでしょうね。

『目に見えないもの」

美濃市 永昌院 副住職 高橋定佑 師

こんにちは。今日は「目に見えないもの」についてお話ししたいと思います。

皆さんは「いのちのつながり」について考えたことがありますか。私は、以前教員として中学校に勤務していた時、子どもたちに「いのちのつながり」について考えてほしくて一冊の絵本を紹介したことがあります。『ヌチヌグスージ』という本です。「ヌチヌグスージ」とは沖縄の方言で「いのちのまつり」という意味だそうです。

舞台は沖縄のお墓参り、島独特の大きなお墓に親戚一族が集まります。絵本の中で、おばあさん「おばあ」が坊やに、「坊やにいのちをくれた人は誰ねー?」と聞くと、坊やが「それは・・・・・・、お父さんとお母さん!」と答えます。

いのちのつながりについて、独特で親しみのある挿絵と言葉で展開され、坊やの頭の中ではお爺さん、お婆さん、ひいお爺さん、ひいお婆さん。さらにその前へと、いろんなご先祖様の顔がグルグル回り、つながりの数が2倍、2倍、さらに2倍と増えていきます。

そして、つながりあう一人ひとりの顔が、紙面いっぱいに無数に描かれ、広大無辺ないのちのつながり、広がりを感じることができます。

絵本の中では、いのちのつながりを数として取り立てて見ることはしていませんが、あえて数字で見てみると

その数は10代で2000人を超え、20代遡るとご先祖さまの数はなんと200万人を超えます。

物凄い数です。しかも、そのご先祖さまそれぞれに、今私たちが生きているのと同じように、喜びや悲しみ、苦しみがある中でつながれてきた。そうやって考えると、素直に感謝の気持ちが湧いてきます。

つながっているのは勿論、いのちだけでありません。

私たちは目に見えるもの、誰が見ても分かりやすいものに意識が偏りがちで、目に見えないものはあまり意識されません。しかし、その目に見えないもの、存在によって、確かに私たちの日々の営みは支えられています。

社会環境の変化が著しい時代だからこそ、その変化に振り回されることなく、ご先祖さまを始め、目に見えないものに想いをいたし、その複雑な絡み合いから、時には苦しみに近いものがあったとしても、少しでも感謝につながる気持ちをもてることが大切です。

そうすることよって、私たちはよりよい未来を描いていくことができるのだと思います。

自ら先に直す

関市 永昌寺 住職 鬼頭周賢 師

皆さん、こんにちは。

日頃、相手の欠点ばかりが目につきイライラしてしまうことはないでしょうか?夫婦の間でも、親子の間でも、兄弟姉妹の間でも、他人との間でも、自分の悪い所を反省して直そうとするよりも、相手の悪い所ばかりが目について、それを指摘し直させようと責めているのではないでしょうか?

相手を責めれば責めるほど相手は責め返してきますし、相手ばかり責めて悪い所、気にいらない所を直させようとするのは少しも効果のないことです。この話を聞いて「なるほど」と思い、この話を相手に押し付けて自分は反省しない愚かさを私達人間は持っています。

人間のこうした愚かさを思う時、静かに自分を見つめる時間を持つことが如何に大切で必要であるかということに気づきます。「自分を見つめ、まず相手より自分が先に直していく、そうすれば自ずと相手も直ってくる」と知ること、悟ることこそが大切です。

現代は、あらゆる面で批判の目を持つことが大切と言われ、その目を養うことが必要とされ、それが世の中を見極めることとされています。確かに必要な事です。

しかし、日常生活の中での人間同士の関わり合いには、自分をしっかり見つめる目があってこそ、自分を見つめ直すことが出来てこそ、人と人との交わりを円滑に保つ重要なポイントであることを忘れてはなりません。

まず相手を責めるよりも、深呼吸をして自分を見つめ直すことから始めてみましょう。

「言葉の力」

加茂郡白川町 住職 宇都宮英俊 師

近頃では、テレビの報道などで発言した言葉で責任を負う場面をよく見かけます。どのような場面でも、言葉で伝えることの難しさがあり、使う場面で状況が変化し良いほうへも悪いほうへも進む力があり、言葉の力というものは影響力を持ちます。

公の場以外でも気を付けなければならない場面が多々見られ、言葉を発するときには気を遣うこともありますが、必要以上に構えてしまうと言葉を発せなくなります。

言葉は人と人とが伝えあう大切なコミュニケーションのひとつです。身近なところでは挨拶があると思います。家族に朝起きたら「おはようございます。」と、お互いに声を掛け合います。そのときに相手から返事がなかったり挨拶の声の明暗でその日の調子が伺えたりもするものです。

家族以外でも学校、近所づきあい、会社などでも会えばまず挨拶をしますが、その人その人でその日の様子がうかがえるものです。

言葉には秘めたる力があります。一番の言葉の力は自分自身を鼓舞する言葉であります。例えば今描いている夢や希望を口に出したり、前へ進むために気持ちを高めたり、自分に自信が持てるよう言葉を発して奮起させることです。その発した言葉は言い続けることで、夢への実現につなげたり、くじけそうになった時にも必ず支えて前に進める力となることでしょう。

良い言葉を発すると自然といい流れになるということ、このことは古より伝わっていて、仏教の教えの中の愛語という教えがその中で息づいています。良い言葉を掛け合えば人の心は穏やかになります。罵声や人を傷つける言葉を発すれば心は病んでいきます。

このように私たちは、生活していくうえで言葉の掛け合い方ひとつで、様々な影響を受けやすいということがわかり、言葉は非常に大切とされることを体験します。

家族や友人、近所の方や勤め先などで話すときは、言葉には力が宿っているということを思い発することで、言葉に重みを感じ、自然と優しい言葉を使うようになることでしょう。言葉を出す前に一度頭と心で考えて発すると相手に気持ちが伝わるのではないかと思います。

それではまず相手に気持ちのこもった挨拶をして、言葉の秘めている力を感じてみてはいかがでしょうか。

「しあわせ」の見える目・目を開けて眠っている人

関市 満願寺 住職 酒井能道 師

人間は無くてもがまんできることの中に、しあわせを追い求め、それがなくてはしあわせなど成り立ちようのない、大切なことを粗末に考えているようです。たとえば、子どもが優等生で有名学校に入学するというようなことの中に、しあわせをを追い求めるあまり、子どもが健康でいてくれるというような、それなしにはしあわせなど成り立ちようのない大切なことを粗末に考えているのではないでしょうか。「それなくしては、しあわせなど成り立ちようのない大切なこと」「あたりまえ」のすばらしさの見えない人、そういう人を「目をあけて眠っている人」というのです。

 あたりまえのすばらしさ、それは、朝目が覚めて吸う澄んだ空気、仰ぎ見る大空と明るい日差し、風の気持ちよさ、鳥のさえずり、一杯の水のありがたさ・・・・・どれもこれも、あたりまえのことですが、なんらかの事情で五感で感じる、それらのことが出来ない多くの人がいるのです。そう考えると、私たちは、決して「目をあけて眠っている人」になってはいけません。

 盲学校の全盲の生徒が、「先生、そりゃ見えたらお母ちゃんの顔が見たいわ。でも、もし見えたら、あれも見たいこれも見たいということになって気が散ってダメになってしまうかもわからへん。見えんかて別にどういうことあらへん。先生、見えんのは不自由や、でも、ぼく”不幸や“思ったこと一ぺんもあらへん。先生、不自由と不幸は違うんやな」と言ったといいます。大好きなお母さんの顔さえ見ることができない、光のない世界を生きながら「不幸や思ったこと一ぺんもあらへん」と言い切ることのできる、この子の「しあわせの見える目」を思うと、私などずかしくなってしまいます。

 

「慈悲の功徳・心を届けよう」

宗務所所長 安養寺 住職 小島尚寛 師

新年明けましておめでとうございます。皆様の益々のご健勝をお慶び申し上げます。

日頃より、このテレホン法話をご拝聴頂き御礼申し上げます。

新年号令和元年は暮れ、令和二年の新しい年を迎えました。

しかし、昨年は度重なる自然災害が生じ、その度に涙し、心を痛める一年でした。

被災された方々は、その中前を向いてしっかりと歩み出されています。

私たちは一人では何もできないかもしれませんが、一人一人が繋がり、大きな輪となれば悩みや不安の中から抜け出すことができることでしょう。

その輪となり、人々をお助けする力となるのに、菩薩の願い、四つの智慧(四摂法)の実践がありません。

・一つには/布施-貪らず、この世とあの世の幸せへの種蒔きをする-人の役に立てるべき、僅かなものであっても自分の持てる力で素直な気持ちで広く施すこと-

・二つには/愛語-心を満たす愛情の言葉を送る-人のことを思うとき、慈しみの心を持って、優しき言葉を差し向けること-

・三つには/利行-助け合う喜びの心を持ち合わせる-困っている人がいれば、だれにでも素直な心で救済すること-

・四つには/同事-逆らわず、押し付けず、へつらわざる慈悲の心を持ち伝える-相手を思い、悲しみや苦しみを共にし、自分を相手に和し、同じくして、協力をなすこと-

被災地の復興にはまだまだ、時間もお金もかかることでしょう。

岐阜県宗務所として、皆様の心を届けたく菩提寺さんを通じて、復興義捐金を募りたいと思っている次第でございます。

今、私たちのできることは、僅かなことかもしれませんが、皆様の人を思う心が一つの輪となって、四つの智慧を実践することが、復興への手助けとなることと強く思います。

本年が皆様にとっても良い年とならんことを願い、共に精進してまいりましょう。

「変化を受け入れる」

関市 大龍寺 住職 竹山玄道 師

私達の身の回りには何時も何らかの変化が起こっています。体型は変化する。親は年を取る。人間関係も、ビジネス、経済天候も、環境も変化する。ゆっくりと変化することもありますが、ある時一瞬にして全てが変わる場合もあります。様々な変化を自然に受け入れられるようになると、得るものは多いと思います。もちろん言うは易く行うは難しなのですが、実際人生の様々な局面で変化をシンプルに考えるようになると、くよくよする回数がぐっと減るはずです。私達は、変化というと、まず、不安や恐れを抱く事が多いです「ああ、年は取りたくないものだ」「定年後は何をすべきか」などなど、必ずというわけではありませんが、変化とは辛く悲しい方へ変わることだと思っています。しかし、変化を楽しんで積極的に考えれば、不安は軽減することがあります。「ああこのままでいいのに」と思うのと「ほら何かが変わるよ」と思う事では雲泥の差があります。それは、期待に胸膨らませ変化を受け入れるか、あるいは不安でいっぱいになるかの違いです。ある新聞に掲載されたNK細胞の活性化で知られる、昇幹夫氏が著書「笑いを科学する」に書いてあった話を最後に紹介します。泣くはシクシクで4×9で36。笑うはっはで8×8で64足してちょうど100泣いて笑って、でも笑いの方が少し多かったらいい人生という考え方です。素敵ですね。今年の五月には、平成から令和に年号が変わりました。そして、その令和元年もあと数日で変わろうとしています。私たちがどう思うおうと変化は必ず起きます。穏やかな気持ちで変化を受け入れることが出来、笑いとばすことが出来れば、その分人生は楽しくなるはずです。今年最後の大晦日お寺で除夜の鐘を突き煩悩を払い一年の辛い闇を除き、新しい新年を迎えたいですね。

「怒りをおさえる」

関市 立蔵寺  住職  伊藤智純 師

アンガーマネジメントという言葉をお聞きになったことがあるでしょうか

日本語にすれば「怒りを管理する技術」といった意味になるでしょうか、1970年代のアメリカで始まり、パワハラ、セクハラなど他者への攻撃的態度が問題化するなかで日本でも企業研修に取り入れられることが多くなっているそうです。

怒りはもともとは、動物にとって自分の身が「危険にさらされた」と感じたときに起こる防衛反応であり根源的、本能的な感情なのですが、人間の場合、必ずしも身体的な危険ばかりでなく自尊心や名誉、信念や価値観に対しても同様の反応を起こし、攻撃されたと感じてしまうことで人間関係を難しくしてしまっているのです。

怒りをどうコントロールすればよいのでしょう。

怒りは極めて衝動的であり、いかりのピークは最初の6秒間だそうです。

6秒以内に反応してしまうと、物に当たってしまったり、相手にひどいことを言ってしまったり、あとで後悔することになりますから、まずは深呼吸をしたり、その場を離れてしまうことも有効だそうです。

怒りは現実ではなく思考であるといいます。

目の前で起こった出来事に自分で意味づけをして、それに対して怒っているのです。

怒りのうらには「何々するべき」「何々であるべき」という自分の価値観とそうではない他者の価値観の衝突があります。自分と他人を客観的にみる訓練をすることで怒りを抑えることができるようになるでしょう。

怒りは二次的な感情であり、もとになる不安、心配、残念、恥ずかしいなどの一次感情の表現の仕方である、といいます。

自分がなぜ怒っているのか、もとの感情をよく理解すれば怒りのエネルギーは小さくなり、また相手に伝えるにも怒りそのものでなく、もとになった感情を上手に伝えた方が受け入れてもらうことができるでしょう。

仏教において「怒り」は克服するべき3つの煩悩「貪り、怒り、無知」の一つに数えられ、3つの毒「三毒」と呼ばれています。

仏陀は「怒りを捨てよ」「毒の根であり甘味を損なうものである怒りを滅ぼせ」「巧みな御者が走る車を抑えるように、むらむらと起こる怒りを抑えよ」と繰り返しお示しくださっています。

まずは最初の6秒間、と心に気を付けてみてはいかがでしょうか。

心の壁

関市     天徳寺       住職 水野弘基 師

今年も残すところあとわずかとなりました。今年は天皇陛下ご存命のまま改元が行われるという貴重な経験をさせて頂きました。そして来年はオリンピックイヤーとなります。先の東京オリンピックから56年目という事です。

オリンピック・パラリンピック、皆さんもTVで観戦、あるいは現地に行ってご覧になる方もみえることでしょう。

オリンピックが始まると毎日TVで朝から晩までその様子が放送されます。しかし、パラリンピックになると、とたんに放送は減りニュースの中で少し触れられるだけになってしまいます。たまに特集番組でパラリンピックを目指す選手の頑張る様子が放送されると名前も知らない見たことも無い競技があったりして驚かされます。なぜパラリンピックは放送されないのでしょうか?不思議に思われた方も多いと思います。民放の放送局は商業放送なのでスポンサーが必要です。スポンサーは視聴率の低い番組には付きません。つまり日本にはパラリンピックをTVで見たいという人は少ないと判断されているわけです。

では、なぜ見たい人が少ないのでしょう?そこには“あわれだとか、かわいそうだとか、痛々しいから見ていられない”という感情があるのでは無いでしょうか?

先日も白い杖を持った全盲の男性が道で人にぶつかったら、相手の男に「目も見えねぇくせにふらふら歩くんじゃねぇ」と暴言を吐かれた。他にも女の子が持っていた白い杖に躓いた男性が怒って女の子の足を引っかけて転ばせたなどという痛ましい事件が起こっています。言語道断ですよね。健常者は身体の不自由な人より優れているわけでも偉いわけでもありません。

私は、以前岐阜盲学校の生徒で作るバンドのコンサートに行ったことがあります。彼らの音楽は確かにミスタッチがあったりペダルを踏み間違えたりすることもありましたが、自分たちの音楽をお客さんに聞いて貰おう伝えようという思いがすごく籠もっていて感動しました。

コンサートの最後に彼らが言ったことは、

「僕たちは楽しんでバンド活動をやっています。音楽をやっているときは僕たちもお客さんも対等の立場でいられるからです。確かに僕たちは一般社会の中で、電車に乗ることも、食事やトイレまでたった一人ですることはままなりません。初めて会う人には『あらあら、かわいそうに・・・』と言われます。

僕は、生活する上で不便だと感じることは多々ありますが、自分のことをみじめだとも、あわれだとも思ったことはありません。背の高い人、低い人、太った人、痩せた人、色の黒い人、白い人という特徴があるように、目の見える人、見えない人という特徴だと思っています。

色んな場面で手を貸して頂けることは大変ありがたいし、それがないと生活がままなりません。しかし、可哀想だとか哀れだとか思わないで下さい。僕たちは自分たちの特徴を受け入れて楽しく生きています。」

という言葉に感動しました。私を含め、みんな心のどこかに身体の不自由な人に対して心の壁を作ってしまってはいませんか?考えてみましょう。

和の心

本巣市 大亀寺 住職 戸田祥隆 師

皆さんは、見上げた空のどこから宇宙になるかご存知ですか?きちんとした境はないそうですが、一般的には100キロから先を宇宙としているそうです。100キロ先となると、私の住む岐阜県本巣市からは高山や京都のあたりです。皆さんの住んでいる所からはどうでしょうか。いつか高山や京都に観光へ行くような感覚で、宇宙を旅する時代が来るのかもしれませんね。

さて、そんな宇宙に行ったことのある日本人は、これまで12人いらっしゃいます。その中でも若田光一さんは、4度の宇宙飛行に飛び立ち、日本人初の国際宇宙ステーション船長として、チームの指揮をとられたことで、ご存知の方も多いのではないでしょうか。若田さんは、宇宙ステーションで迎えた1月1日に書き初めをされました。そこで書いた言葉は「和の心」。若田さんが船長を務めるうえで大切にしてきた言葉でした。100キロ以上上空の世界は地上とはまったく異なる空間です。無重力・閉鎖的環境などの宇宙特有のストレスが心に大きくかかってきます。しかも、そんな中で生まれも育ちも価値観もバラバラなメンバーと何ヶ月も過ごし、与えられたミッションを果たしていく。そこには、相手を思いやり、調和の中からベストな結果を生み出す日本人らしい「和の心」が大切と若田さんは述べられています。

和には穏やか、あたたか、仲良くする、争わないといった意味があります。私たちは、日々の生活で誰かと関わりあって生きています。ときには「何だかこの人とは考えが合わないな」と悩むことも当然あります。でも家族や住んでいる地域、職場は私たちにとって宇宙を旅する船なのかもしれません。そんなときこそ「和の心」。相手を大切に“思いやる心”そして“あたたかい言葉”を心掛けてみましょう。その船から見える地球はどんな形をしているのでしょうね。