道徳と合掌

岐阜市 多福院 住職 市橋 正信 師

「道徳」の授業、昔は、それほど重要な授業として位置づけられてなく、週に1時間程度、教科書がなくプリントが配られ、人権的なことを学んだかなという感じの授業ではなかったでしょうか?

それが今、平成30年度より小学校で、平成31年度より中学校で、「特別の教科 道徳」として位置づけられ授業が始まっていきます。もちろん教科として位置づけられるので、数値評価ではありませんが個々の成長の様子が記録されていきます。

「道徳の教科化」の背景には、「いじめ」「ソーシャルメディアの普及」「子供をとりまく地域や家庭の変化」などが挙げられています。また、科学の進歩により、非科学的なことが軽んじられるようになり、祖父・祖母への敬い、継承されるべく慣習・道徳的概念の継承が薄れたことも一因と考えられます。

修証義第一章に、「善悪の報に三時あり。一者順現報受、二者順次生受、三者順後次受」という一節があります。善悪の報い、すなわち身にはね返ってくる良い行為・悪い行為は、三時、すなわち現在・未来および来世にわたって現れると説いています。

子供の頃、両親から「罰が当たる」「地獄におちる」と言われたものですが、これは「善悪の報に三時あり」になぞられた言葉であります。悪い行為は決してしてはいけませんが、善の報いは、一人ひとりに培われた良心により得られるものです。

現代においては、協調よりも一人ひとりの個人が尊重され、善悪といった道徳的概念を培う場が無いように思えますが、初詣等、神社仏閣を訪れた時の気持ちはどうでしょう。気持ちを整え、合掌・礼拝した時、それはそれは良心に満ち溢れたひと時ではないでしょうか。

そんな機会を、朝のひと時、日常的に実践してみませんか。お仏壇があれば仏様に、お仏壇がなければ朝食を摂られる席で、一人でも。家族みんなでも。

「合掌」こそ「道徳」の実践の第一と考えます。