見えない助け

瑞浪市 慈照寺 住職 石神 智道

 ある日「ガンッ」と隅においてある荷物に躓きました。慌しい時に余計なことに気を取られて苛立ってしまいました。荷物を使わなくなった時に片付けておけば済むのに、その時に「やっておかなかった」が故(ゆえ)の余計な苛立ちでした。このことを一歩下がって考えてみた時、自分自身の廻りを取り巻く多くの働きに気付く事となりました。

 

私のお寺の役員をして頂いている七〇代の小柄な女性、竹内さんは、普段からよく気の付く方です。

普段のお寺の行事の中で私が気になったところが、いつの間にか竹内さんが直してくださっていることを知りました。私は気になって尋ねました「何故そんなに細かな気遣いが出来るのですか?」竹内さんは恥ずかしそうに「おっさん、失敗の積み重ねだよ。昔はおせっかいが却(かえ)って疎まれてね、人の為にしたことが嫌われたこともあったよ。でもね、ちょっとしたことをありがとって言われると嬉しくてね。ついついやってしまってるうちにこうなったんだよ。」と。「それに」竹内さんは続けます。「上手に事(こと)を執りまわしてくれる人が、ちょっとしたことに躓いてしまうと事が止まっちゃうからね。」と笑っていました。

私はその言葉に「はっ」とさせられました。一つの行事が滞り無く進むために、沢山の『人の思いや行い』というものが詰まって成り立っていくものだと改めて知る機会となったのです。。

 

一つのことがうまくいくということは先人が積み重ねてくださった知恵と現在の人たちの思いと行動が揃って初めて成功があるのです。いままで行事というものをやってこられた中にいかに大きなそして沢山の『見えない助け』があったのに気づくことが出来ました。

鳥が卵から孵化する時、内側から雛が殻を割ろうとするだけでは割れません。逆に親鳥が外から突くだけでも割れません。卵の中で成熟した雛とタイミングを見計らった親鳥が揃ったときにやっと孵化出来るのです。

 

お寺での行事が終わり挨拶をするとき、いつも「皆さんのおかげで」と口にします。私が気付かないところで「何か」を「誰か」がやってくださったからこそ一つの行事を無事に終えることが出来たのです。そして今、私がこのお話ができるのも、聞いて下さる『貴方のおかげ』なのです。ありがとうございました。