良き人生の為の行動を

揖斐郡揖斐川町 月桂院 住職 杉山秀峰 老師

団塊世代の退職時期に入り、年金で生活している方が多くいらっしゃいます。退職後も仕事に就ける方は良いのですが、誰しもが就けるとは限りません。その日を何となく過ごしている人をよく見かけます。

曹洞宗の経典『修証義』第五章の中に「徒らに百歳いけらんは 恨むべき日月なり悲しむべき形骸なり」という言葉があります。「たとえ百歳という長寿に恵まれたとしても、欲望だけを追い求めるような無為な日々であるならば、それは悲しむべきことである」という意味です。

私達は、これといった予定もなく、何をするでもないような一日を過ごしてしまった時、「ああ、今日は一日無駄な時間を過ごしてしまった。」と思ってしまうことはありませんか。「人生に無駄なことはない、何かの役にたっているはずだ」と、言い聞かせてみても、「うーん、やっぱり無駄だったかな」と思ってしまうのはなぜなのでしょう?

それは年齢を重ね、日々死に向かっている事実を少なからず肌で感じる中、「今日は、これをやった、あれもやった」といえるような事をしないと、つい無駄な時間を過ごしてしまったと思ってしまうのかもかもしれません。人の命には限りがあり、それぞれに与えられた時間を生きています。限りある時間であるならば、人生を長い短いで片づけるわけにはいきません。私たちが生きているのは、昨日ではなく、明日でもありません。今を生きているのです。

それでは、かけがえのない今を、今日一日を大切にするためには、どうしたらよいでしょうか?それは若者のように、興味や関心、好奇心を持ち続けることではないかと思います。

何かを始める事です。けして大げさなことでなく「笑顔で挨拶をしよう」とか「毎日散歩に出かけよう」時には「読書をしよう」など、どんなことでもよいのです。何かをしてみようという思い、その思いから生まれる行動力こそが、今日一日を大切に過ごし、良き人生に繋がっていくのではないでしょうか。

良き人生の始まりに、遅いということはありません。今から何かを始めてみましょう。