岐阜市岩田西 智照院 住職 宮崎 誠道
当時小学生だった私には祖父と遊んだたくさんの思い出があります。元気な祖父も八十歳を過ぎたころでしょうか、体の自由が以前のようには利かなくなり、一人で出歩くことができなくなってしまいました。そんなある週末のことでした。体調が悪かったのかその日、祖父はいつもより無口でした。二口、三口と食べると急に食べたものを全部戻してしましました。当時、小学生の私は祖父の体のことよりも、戻した事に怒り汚れた服の事で父を責めてしまいました。「この服どうするんだよ?もう着れないだろ」父は黙って祖父の背中をさすりベットに寝かせ、床の掃除を始めました。祖父は「ごめんな、ごめんな」そう言って私の頭を撫でようとしました。私はその手を払い、「もういいよ」とたまらず家を飛び出しました。
それから数か月たったあるとても寒い晩のこと、心臓の発作で祖父は急に帰らぬ人になってしまうのです。明け方頃に電話を受けみんなで病院に駆けつけました。急いで病室に入ろうとしたら、そこに父がいました。「じいちゃん。なんで急にいっちゃうんだよ。もっともっと面倒みたかったなぁ」その父を見たら何だかあの日、じいちゃんの手を払い「もういいよ」と言った時の事が急に頭の中を駆け巡りました。父に言いました。「俺、おじいちゃんに全然優しくできなかった。ごめんなさい」この時、私の中で後悔の気持ちは懺悔となり、父にすべてを打ち明けました。
懺悔とは自分自身の行動・言葉・思いから生じた罪を悔い改めることです。同時に私たちはその懺悔を自分の中に持ち続けなければいけません。私の祖父に対する懺悔は三十年以上たった今も心の中にあり、私の糧となり生き続けています。懺悔とは悔い改めると同時にその思いを持ち続けることで自分自身を律していくことなのです。