清らかな心

本巣市文殊 増徳寺 住職 長宗 一陽 老師

この季節になりますと見事な花を朕かせる蓮の花、この花は追行く人の心をひきつける力があるようで、つい立ち止まってしまいます。お寺には造り花の蓮の花がご本尊様の前に飾られているように、仏教ではハスは清浄な花と信じられています。『維摩経(ゆいまきょう)』には、高原の陸地には蓮花は生えない、汚泥の中からこそ蓮花は咲く。とありますが。蓮の花言葉は「清らかな心」清らかに生きるという意昧で、汚水を吸い上げながらも中から立ち上がり美しいお花を咲さかせることに由来します。真水に近いような綺麗な水だと小さな花にしかならないようです。お盆の法要に、ご先祖様•有縁無縁の霊にお茶•お花•浄水をお供えし、供養の法要が行われます。ご先祖さまとの命の繋がりを通して、自分自身のいただいている命の尊さに気づいて戴く機会です。お盆の法要中に、ふとと自を向けまサと、お子さんも皆さんと一結に手を合わせる姿の清々しさ、拝む姿は蓮の花のつぼみを連想致します、皆さんのお経を唱える声と、手と手が―つの心となる時です。供養と申しますのは、形に見える世界から形に見えない世界に向かっての働きかけです。見えない世界に対し迷いも生じます。そんな時大切に思う人を遺して行かねばならない自分を想像してみればおわかり戴けると思います。真心を込めたお供え物も尊いことですが、私たちの日々の生き方が肝心です。亡き方に喜んで戴けるような、生き方こそ心がけたいものです。