土岐市 仏徳寺 住職 佐々 宏之
息子さんの突然の死、ご家族の悲しみはいかばかりかと胸を締めつけられるような思いがありました。我が子を突然失った時の親御さんの悲しみは悲しみの中の悲しみでしょう。慰めの言葉もありません。
みなさんご存知のお釈迦様がご存命の時タミーという女性がおりました。とても貧しい生まれだったのですが、長者に嫁いで男の子を生みました。しかし可愛いさかりにこの子は突然死んでしまいます。彼女は、この子をいつまでも抱きかかえて「この子を生き返らせる薬を下さい」と叫びながら街中を走り回りました。
不憫に思ったお釈迦様は、彼女を呼び寄せその子を生き返らせたいなら「ケシの実をもらっておいで、ただしそのケシの実はかつて一度も死人を出したことにない家からのものでなければならない」と言いそなえました。
タミーは、早速飛び出して町の中を一軒一軒訪ねて歩きまわりました。ある家では三日前に母を失いました。別の家では一年前に娘を失いました。結局一粒のケシのみを得ることができなかったのです。
よーく考えればわかる様に過去まで遡れば死者を出したことのない家があるはずもなく、タミーは「子を失ったのは自分だけではない。あの家もこの家も誰かを失った人がいる。」ということに気づき、死はすべての人に免れがたいものであると悟るのです。
お釈迦様は、タミーに子供を失った悲しみはとても言葉では慰められないということです。
我が子を失った悲しみが癒やされるには長い歳月が必要です。その試練を乗り越えてからこそ自分たちも他人の辛さが同感できるのです。そして、手を合わせられるようになります。親も子も共に救われる時なのだと言えるのではないでしょうか。