関市 天徳寺 住職 水野弘基 師
今年も残すところあとわずかとなりました。今年は天皇陛下ご存命のまま改元が行われるという貴重な経験をさせて頂きました。そして来年はオリンピックイヤーとなります。先の東京オリンピックから56年目という事です。
オリンピック・パラリンピック、皆さんもTVで観戦、あるいは現地に行ってご覧になる方もみえることでしょう。
オリンピックが始まると毎日TVで朝から晩までその様子が放送されます。しかし、パラリンピックになると、とたんに放送は減りニュースの中で少し触れられるだけになってしまいます。たまに特集番組でパラリンピックを目指す選手の頑張る様子が放送されると名前も知らない見たことも無い競技があったりして驚かされます。なぜパラリンピックは放送されないのでしょうか?不思議に思われた方も多いと思います。民放の放送局は商業放送なのでスポンサーが必要です。スポンサーは視聴率の低い番組には付きません。つまり日本にはパラリンピックをTVで見たいという人は少ないと判断されているわけです。
では、なぜ見たい人が少ないのでしょう?そこには“あわれだとか、かわいそうだとか、痛々しいから見ていられない”という感情があるのでは無いでしょうか?
先日も白い杖を持った全盲の男性が道で人にぶつかったら、相手の男に「目も見えねぇくせにふらふら歩くんじゃねぇ」と暴言を吐かれた。他にも女の子が持っていた白い杖に躓いた男性が怒って女の子の足を引っかけて転ばせたなどという痛ましい事件が起こっています。言語道断ですよね。健常者は身体の不自由な人より優れているわけでも偉いわけでもありません。
私は、以前岐阜盲学校の生徒で作るバンドのコンサートに行ったことがあります。彼らの音楽は確かにミスタッチがあったりペダルを踏み間違えたりすることもありましたが、自分たちの音楽をお客さんに聞いて貰おう伝えようという思いがすごく籠もっていて感動しました。
コンサートの最後に彼らが言ったことは、
「僕たちは楽しんでバンド活動をやっています。音楽をやっているときは僕たちもお客さんも対等の立場でいられるからです。確かに僕たちは一般社会の中で、電車に乗ることも、食事やトイレまでたった一人ですることはままなりません。初めて会う人には『あらあら、かわいそうに・・・』と言われます。
僕は、生活する上で不便だと感じることは多々ありますが、自分のことをみじめだとも、あわれだとも思ったことはありません。背の高い人、低い人、太った人、痩せた人、色の黒い人、白い人という特徴があるように、目の見える人、見えない人という特徴だと思っています。
色んな場面で手を貸して頂けることは大変ありがたいし、それがないと生活がままなりません。しかし、可哀想だとか哀れだとか思わないで下さい。僕たちは自分たちの特徴を受け入れて楽しく生きています。」
という言葉に感動しました。私を含め、みんな心のどこかに身体の不自由な人に対して心の壁を作ってしまってはいませんか?考えてみましょう。