徳あるは讃むべし徳なきは憐むべし

関市 倉知 大龍寺 住職 竹山 玄道 老師

人間が生活していく上で、もっとも大切なことは自分以外の人とのコミュニケーションではないでしょうか。今テレビや新聞などを騒がせている痛ましい事件の多くはコミュニケーション不足が原因になっています。私たちは生まれてからこれまでに大変多くの人々のお世話になって、今日の生活が成り立っています。その中で幸せに日常生活を送っていくには人とのコミュニケーションは不可欠といえるでしょう。

修証義の経本の第四章に「徳あるは讃むべし徳なきは憐むべし」という一文が記されております。家庭においても、学校においても社会においても、人として、素晴らしいことを行った人は、その功績を誉めましょう。当たり前のことですね。ですが、徳のない人に対してはどうでしょう、例えば、嫌なことを言われたり、腹の立つことをいう人に対しては、当然怒りや、憎しみを抱き、時には立ち直れないほど、傷つきます。でも、そうではなく、憐みの心で接しなさいと、道元禅師様は、説かれております。怒りや憎しみ、悲しみのマイナスの想いは、そこに、その人がいない時にもあたかも、今目の前にいるかのように反復して自分を蝕みます。ですが、当の相手は全く関係ない時間を過ごしているのです。そんな、過去の怒りに無駄な時間を費やすのではなく、ああこの人はこんな言い方しかできない憐れな人なのだと思い。徳を無くしているのだと、憐みの心を持てば、おのずと生活の中に、マイナスの感情が消えていくでしょう。

私たちの周りには日々色んなことが起きます。それを、どうとらえるのかは自分しだいです。

簡単なことではありますが実はとても難しいことだと思います。当たり前の生活の中にこそ仏の教えはあるのです。