喫茶去

土岐市 正福寺 大島 祐貴

日本の習慣の中で誰しもが知っているものの一つに、お茶を飲むことがあげられます。お茶と一言にいっても、奥深い作法にのっとっていただく「お抹茶」手軽に飲む緑茶、最近ではさらに手軽に飲むことができるペットボトルの普及により、いっそう身近なものになりました。お茶というのは6世紀頃、南インドの達磨様が中国に持ち込み、日本に伝わったのは鎌倉時代、中国で学んだ栄西が日本に帰国した際、禅とともにお茶の種を持ち込んだことから広がったとされています。私も仕事柄、お参りに伺ったときにはお茶を出していただくことが多いですし、来客があればお茶を出してお迎えをいたします。中国の有名な禅僧である趙州禅師様の逸話に、次のようなお話しがあります。 ある時禅師様のもとに2人の修行僧がやってきました。一人目の方に、以前にもここに来たことがあるか、と尋ねまました。来たことがあります、と答えると、まあお茶でも飲みなさい、と言ってもてなしました。二人目の方に、ここへ来たことがあるか、と尋ねました。来たことはありません、と答えると、まあお茶でも飲みなさい、と言ってもてなしたそうです。そのやり取りを見ていた方がなぜ同じ答えなのですか、と聞き返すと、まあお茶でも飲みなさい、と答えたそうです。その様子をみて、どんな人であろうと分け隔てなく平等に真心を持って接することの大切さ、お茶を飲む行為そのものの大切さに気付いたそうです。お茶を飲むときは他ごとを考えず、お茶を飲むことに集中する。自分が今持っていないもののことばかりを考えて、目の前にある物事に集中することができない。そういう自分への戒めとして『喫茶去』という言葉が伝えられているのではないでしょうか。