友の死・家族の愛

関市 香積寺 住職 樺山舜亮

中学の頃から友情を育んできた友のご子息から突然の電話でした。「父が危篤です」言葉がありませんでした。メールの返信が無く心配をしていた矢先でした。友は彫刻の仕事の傍ら油絵を趣味として毎年絵画展を開いていました。案内状の葉書が届く度、仲間数人と出かけて行き旧交を温めてきました。彼は七年前から咽頭がんを患い声帯を切除していて会話ができず、筆談が主でした。辛いとも、悲しいとも泣き言ひとつ言わずいつも笑顔で私たちを迎えてくれました。友の不幸は続き最愛の奥様は二年前から脳内出血で半身不随。車椅子の生活です。次男は精神障害で人との会話が難しいのです。友は奥様の為に慣れない食事の用意や洗濯などの家事をこなしていたと言うことでした。あの友の笑顔は何だったのでしょうか。危篤の電話から四日後、再びご長男から「父が逝きました。父と仲のよかった方たちの弔問をお願い致します」という電話でした。通夜の席でご長男の挨拶がありました。「父のことでは後悔ばかりです。あんなこと言わなければよかった。あの時、こんな言葉を掛ければよかった。もっともっと話したかった。悔いが残ります。母は父の死でかなり気を落としています。でも、母も弟も僕が頑張って助けていきます。現実は現実として受け止め凜として生きていきます。」不幸を一身に背負う四十才になったばかりの涙ながらの彼の言葉を聞きながら家族とはこういうことなのだと悲しみの中で救われる思いでした。友の残した手帳にはこう記されてありました。「水の向こうから強い光が見えて幸福感を感じた。バイバイです。家族にいいことがありますように」と。