福昌寺 住職 坂本宗陽師
昨年の秋に、小学校の運動会を見に行きました。確かこれで4回目になると思います。リレーを見るのが楽しみですが、他にも、本当は騎馬戦とか、棒倒しとか個人的には見たいなあと思いますが、今迄の経験からない事は知っていました。
ところが今回は綱引きもありませんでした。危ないし怪我し易いという理由でなくなったのでしょうか。なんだか淋しい気がしました。体がぶつかり合ったり、思い切り力を振りしぼったりした中で、痛かったことや友達と連帯感を感じたりしたことなどは、私にとっては大切な思い出だからそう感じるのかもしれません。
また、先日小学校の授業参観で、何気なく見ていたら、先生の位置が低いことに気がつきました。教壇がないのでした。先生が子供に上から教えることが良くないという見識によってこうなったのだとしたら、なんだか肌寒い気がします。年上、目上の人、先輩を敬うことは大切ではないのだろうか?と疑問に思いました。
話は替わりますが、檀家の総代さんが最近膝の手術を受けられました。膝の関節の半月板が磨り減ってくるのが原因で膝の痛みが徐々に大きくなって、人工の関節を膝に入れる大変な手術です。ですが、私が知っているだけでも、この手術を受けられたのは4人目です。幸い手術後は順調で、今はリハビリに頑張っておられます。
私は、私たちの心も喩えてみればこの膝の半月板と同じではないかと思います。年を重ねて老いてくると心が弱って磨り減ってきます。何気ない言葉や、叱られる言葉、強い言葉に、以前だったらじっと受けとめたり、「ふん、何を言うか」と笑い飛ばしたり、跳ね返す力があったのに、同じ言葉でも傷ついたり辛くなったりするのです。
お年寄りは頑固になる、とか言いますが、仏説父母恩重経というお経の中にも「父母、年高けて、気老い、力衰えぬれば、倚るところの者は唯だ子のみ、頼むところの者は唯だ婦のみ」とありますように決して強くはありません。
私たちは、やはり人の痛みがわかり、お年寄りを敬い、いたわることが出来る人間になれるよう心がけたいものです。