わが身は借り物

弥勒寺 住職 宮地英光

人は心と身体とから成り立っている。自分で物事を考え、行動し、身体もそれに伴って自由に何でも出来る事から、心と身体は自分のものと思っている人が多いのではないでしょうか。

しかし、自分のものであって自分のものではありません。身体は一時お借りしているだけ。

誰でもいつかはお返ししなければならないものです。たとえば、身体は自分のものと思っても、自分の思うようにならないのは誰もがわかると思います。いつの間にか怪我をしたり病気になったり、死んでしまったりする。病気になんかかりたくはない、死にたくはないと思っていても、そうなる時はそうなる。自分の自由にはなりません。でもたとえそれが不完全な体であったとしても、お借りしている間は、感謝の念をもって日々、いたわらないといけません。いつも身体に何事もない多くの人達は、この事をつい忘れがちです。五体がたとえ不満足でも、感謝しながら生きるのと、不平、不満、恨みの念を持って生きるのとでは天地の差ほどの違いがあり、日々の生活は、すべて感謝、感謝です。食べられる事も働けることも歩く事が出来る事も眠る事が出来るのも、人と話せるのもすべて感謝です。

自分の日々の思いと身体を借り物と考え生きてご覧なさい。すべては感謝の念に変わるはずです。私も生身の身体ですから病気になったり、どこかが痛んだりいろいろです。そんな時借り物である身体を粗末にしていないかと申し訳なく思う時があり、そして反省する訳です。

人間の営みは決して自分の意志だけで動いているのではない。神仏のおはからいによって動かされているという事を自覚しなければなりません。